餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?

ランと餃子とデジタルガジェット。ときどき、映画や雑誌の話。言いたいことを言い捨てるブログ。

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じっと我慢の日曜日…。勝田全国マラソンの思い出に浸る。

今日は、マラソン大会が花盛りの日だ。

一般世間的な注目度からすると、大阪国際女子マラソンがダントツだと思うけれど、これは、エリート女子限定のレースだから、僕とっては、いわば「見るレース」。

今日は、この他に、身近なラン仲間たちが走るレースも多数開催されていて、そちらの方が、気になるレース、応援するレースとなっている。

フルマラソンだけでも、勝田、館山若潮、天草、石垣島があるし、ハーフの新宿シティ、10マイルの湘南藤沢市民マラソンなど、全国各地で目白押しだ。

既に、SNSやブログでは、さまざまな気象条件にも負けず、頑張ったラン仲間たちの報告が上がってきている。

だから僕は、皆の完走報告を読み耽って、それぞれに、お祝いやねぎらいのメッセージなどを考え、そして発信しようとしているところだ。

力の限り頑張って、自己ベストや目標を達成するラン仲間の人たちを、僕は本当に尊敬している。

目標には達しなくても、現段階の力を出し切って、楽しく完走するラン仲間たちも、素晴らしいと思う。

ただ、僕は、少し寂しさも感じている。

皆を凄いと思うたびに、「力を出せなくなっている」自分の不甲斐なさも感じてしまうからだ。

最近、僕はレースに出るたびにタイムを落としていて、そのたびにモチベーションが下がっていく。

そもそも、出走する状態にさえ仕上げることができず、出走回避するレースも増えている。どうにもこうにも情けない。

座骨の具合は(鍼のおかげで少し良くなってきているとは言え)完調ではなく、さらには、突発的な嘔吐症状まで生じて、週末の練習さえもまともにできない有様。

そうこうしているうちに、筋力低下も老化も進んでくるから、僕はもう、きっと、以前のようには戻れない。

レースに出ても、記録を求めることなんてできないんだよなぁ…。

などと、見苦しい愚痴(自分で書いていても嫌になる)を書いてしまうのには、理由がある。

今日、レースが行われていて、沢山のラン仲間が出走している「勝田全国マラソン」が、僕にとって、とても思い出深いレースだからだ。

今から7年前。

僕にとって、初めてのフルマラソン。

4時間で交通規制解除となり、歩道を走らされたりしたけれど、とても温かくて素晴らしい大会だった記憶がある。

翌年出場した時は、「もう、歩道なんて走りたくない!」「だから4時間を切りたい」という思いで精一杯走った。

結果…。

筋肉痛に苦しみながらも、何とか、前年のタイムを20分程度縮め、歩道を走る屈辱を味わずに済ますことができた。

3年目。

僕は、再び勝田の自己レコードを更新。ネットタイムで3時間半を切ることができた。

レース中もレース後も、とても楽しいレースだったことを思い出す。

今から考えれば、あの頃が僕のピークだったのかもしれないなぁ…w

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ナンバーカードと記録証。

記録が伸び続けていた時期だったんだなぁ、ということを、あらためて思う。あの頃は僕もまだ40歳代だったし…。

第61回以降、僕は、勝田全国マラソンには出場していない。

ここ最近は、勝田翌週の別大に出ていたから、スケジュール的に厳しかったのだけれど、別大に出ることはもうないと思うので、来年は、勝田に復帰してみようかなぁ…とも思っている。

ただ、今の状況だと、最後は歩道を走らなければいけなくなりそうだけれどw

1週間後の別大…は無理だけど、1ヶ月後の東京に繋ぐ夢

帰宅したら届いていた。

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来週末…2月4日に迫った、別府大分毎日マラソン大会の参加案内だ。

1年前の悔しさが甦る。

ゴール直前数十メートルで、時計は3時間半を過ぎ、僕は、タイムアウトになってしまったのだ。

別大の規定上、40km関門を制限時間内に超えていれば、そのレースのフィニッシャーとしては認められる。

しかし、別大の出走資格は、「グロスタイムで3時間半以内」なので、僕の記録は、次年出走に繋がらない。

ゴールインこそしたものの、精神的には、痛恨のタイムアウトなのである。

だから。

その悔しさを晴らすために、今年はリベンジの年になる筈だった。

「グロスタイムで3時間半以内」の記録は、2年間有効なので、僕は一昨年の別大記録で、今年出走することが可能。

2年前は、3時間23分でこのレースを走れていたからだ。

しかし…。

座骨神経痛を発症して以降、そんなスピードを出すことは夢のまた夢。

練習さえもおぼつかない状況だから、おそらく、10kmの第一関門さえクリアすることはできないだろう。 

ということで、別大は、もちろん見送ることを決めた。

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僕にとっては、特別な思い入れがあるレースなので、ここ数年間、ずっと楽しみにしていたのに…無念だ。

僕は、一応今年春のはなももでサブ3.5をクリアしているため、再来年まで出走権利はある。

しかし、今の実力を考えると、もう、永遠に出走できることはないだろうなぁ…。

僕は大いに落ち込んだのだけれど、すぐ、気を取り直すことにした。

僕には、東京マラソンが控えているからだ。

3年ぶりに、僕は、この夢の舞台への出走権利を得た。

まだまだ先だと思っていたのに、気がつけば、もう1ヶ月後に迫ってきている。

どんなタイムになろうとも、このレースには出走するつもりではあるけれど、でも、折角出る以上は、少しでもいいタイムを残したい。

そんな僕に…。

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ランニングマガジン クリール 2018年 03 月号

毎号愛読している「ランニングマガジン クリール」が、とても役立つ記事を掲載してくれていた。

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 東京マラソン攻略特集。

なんと、20ページ超にも及ぶ大特集だ。

詳細なマップリスト、駅トイレ&入場ゲート内の過ごし方、完走者インタビューなど、実に読み応え満載。

僕は、過去に何度か走ったことがあるので、だいたいのレースイメージはできているものの、新コースになってからの出走は初めて。

だから…。

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僕にとって未知となる、16kmから25kmのコースマップはとても参考になった。

コースの斜度が、なんと高低9段階もの形で色分けされているため、そのアップダウンイメージまで浮かんでくる。

いやはや、実に労作。流石はランニングマガジン クリールと言える特集だ。

僕は、この辺りを気持ちよく走ることができているだろうか…。

あと1ヶ月での回復、調整度合が鍵になると思うので、自分なりに精一杯の形で、楽しく当日を迎えたい。

 

ランニングマガジン クリール 2018年 03 月号 特集:東京マラソン攻略ガイド

ランニングマガジン クリール 2018年 03 月号 特集:東京マラソン攻略ガイド

 

 

スノーターサー装備が裏目に出た、雪中の帰宅作戦

昨日はひどい天気だった。

各種の気象ニュースで、あらかじめ警告されていたとは言え、想像を超えるレベルの雪。いやはや凄かった。

この程度でひどいとか凄いとか言っていると、雪国の人には笑われると思う。

しかし、環境の違いというのは恐ろしい。人間もシステムも、慣れていないことには、どうにも弱いのものなのだ。

都心部の積雪は、4年ぶりに20cmを超えた。

案の定、都心部を支える交通システムは、この特異気象に耐えられず、大混乱に陥った。

大幅な遅延、入場制限、さらには、運転休止、など、など、など。

同僚の中には、帰宅困難に陥った人もいるほどだ。

ただ、僕は、昨日、ひとつの作戦を考えていた。

まさかここまでの積雪になるとは想定していなかったが、ある程度雪が積もることは確実だったから、「できるだけ交通システムに頼らず、歩けるところは歩いて帰ろう」と思ったのだ。

そう、僕には、これがあったからである。

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スノーターサー。

僕の愛するレーシングシューズ、ターサーシリーズの雪道モデル。僕はこれを、4年ぶりに活用させようと思ったのだ。

4年前。

27cm降り積もった日のことは、今でも鮮明に覚えている。 

あの年は、恐ろしいことに2週連続で27cmの雪が降ったのだけれど、僕がはっきりと覚えているのは、1回目のこと。

あの時は、土曜日に大雪が降り、翌日曜日は、朝からすっきりと晴れたため、僕は、荒川河川敷に遠征した。

それまでお蔵入りになっていた「スノーターサー」をデビューさせるには、もってこいだと思ったからだ。

その思惑は、見事に的中。

僕は、新雪の上を、快速シューズのスノーターサーで走りまくれることが嬉しくてたまらなかった。

雪上ランで最高の気分になり、気がつけば、キロ6分ペースで12km。夢のような体験だったことを思い出す。

その後、東京でも何度か雪は積もったけれど、あれほどのレベルに至ることはなかった。

また、夕方から降り積もって夜には固まっていることもあったので、そうなると、雪は危険なアイスバーンに変化。

スノーターサーは、あくまで「雪上用」のランニングシューズであり、アイスバーンには向かない。

だから、またしても、僕のスノーターサーはお蔵入りになっていたのだ。

ただ…。

昨日は、昼過ぎから夜まで雪が降り続く予報になっていたため、僕は、帰宅時にスノーターサーが活用できるんじゃないかと思った。

ということで、このシューズを持参して出社。

午後以降、想像を超える雪の状況に不安が募りながらも、どうすることもできず、時刻は夕方に。

ようやく定時を超えた頃には、各種交通規制の情報が流れ込んできた。

特にターミナル駅は大混雑、大混乱で、入場規制までしているとの情報だった。

僕は、平時でも、ターミナル駅の人混みが大嫌いで、最近は、それを避け、できるだけ電車に乗らないようにしていた。

幸い、僕の家から会社は、歩いても1時間はかからない距離。

今は、ランニングが思うようにできない身体だから、運動不足をウォーキングで補う意味でも、一石二鳥だったのだ。

ということで…。

僕は、革靴をスノーターサーに履き替え、行けるところまでは歩いて行こう、と思った。

大雪で乱れまくり、ごったがえす交通網を避け、悠々自適に、雪の中を歩いて行こう。そう思いながら、会社を出た。

今から考えれば、その作戦が…。

大甘だった。

僕は、歩き始めてたった10分で、自分の決断が間違っていたことを思い知る。

雪に慣れていないのは、交通システムだけじゃない。僕の身体も同じだったからである。

スノーターサーは、雪を完全に弾いてくれるので、足下については、全く問題ない。

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だから、スノーターサーは、十分その役割を果たしてくれた。

しかし、雪の日に辛いのは、足下だけの話じゃなかったのだ。

昨日の帰宅時間は、まだ雪が降りしきっていて、しかも、歩き始めたころからだんだん、その勢いが強くなってきていた。

そんな中、僕は、スーツ&コートスタイルで、傘をさしながら歩いていたのである。f:id:ICHIZO:20180122210913j:plain

容赦なく身体に襲いかかる雪に、僕の身体はだんだんと凍えてきた。 

そもそも、よく考えれば、降りしきる雪の中、写真を撮って歩こうと考えることがバカすぎる。

写真を撮るために、手袋も外したりしているので、手がかじかんで、さらにつらい状況になった。

確かに、ブログのネタになるかもしれないとは思ったが、こうなると病気だ。

しかし、それはあとから思ったことで、この時の僕は、なぜか妙な義務感(なんの義務だよw)に襲われて、無性にシャッターを切っていた。

結局…僕の帰宅作戦は大失敗。

僕は20分歩いた地点で心が折れて、交通システムに頼ろうと思った。

しかし、ショートカットルートで歩き始めてしまったため、いつもの駅を使うことができず、やむなくバスに乗車。

延々と待たされた上、のろのろ渋滞&大混雑に巻き込まれた。さらには、駅もバスもないような場所から、1km以上も歩く羽目に。

いやはや、たった1kmの道程が、まさかこんなに長いとは思わなかった。

スノーターサーのおかげで、足下だけは不安がなかったけれど、家に帰り着く頃には、身も心もボロボロになっていた。

今から思えば、僕の作戦は、あまりに中途半端だった。

スノーターサーは、あくまでランニング用のシューズ。これを履いて帰るつもりならば、スーツやコートじゃなく、ランニングスタイルで、走って帰宅するべきだった。

スノーターサーだけじゃなく、防寒用のランニング装備を用意して出社するべきだったのだ。

しかし、そんなことを今更言ってもあとの祭り。泡沫ブログのネタにしかならない。

本当に僕は大馬鹿だ。

 

[アシックス] スノートレーニングシューズ SNOWTARTHER SG ブラック/シルバー 23.0 (現行モデル)
 

 

ランナーだらけの鍼治療!「内田治療院」初体験記

一味玲玲のNJC餃子祭りでは、さまざまな話題で盛り上がった。

僕にしてはかなり飲み過ぎたため、思い出せないこともあるのだけれど、ひとつ、強烈な印象を残した話題があった。

怪我の話題だ。

ラン仲間が、「メチャメチャ痛いけど、とっても効く」という、鍼(はり)治療院の話をしていて、僕は、それが忘れられなかった。

僕は、これまでの人生で、鍼は未体験だったし、痛みについての耐性もないので、元気な時だったら、笑ってスルーしていたかもしれない。

しかし、今は、違う。

数ヶ月前から座骨神経痛に苦しんでいて、整形外科やリハビリでの治療も行き詰まっている。

思うように走れない毎日で、悩み、苦しむ日々だったから、わらにも縋る思いがあった。

ということで…宴からの帰宅早々、朦朧とした頭で、店舗のWebサイトを開いて、予約メールフォーム記入に臨んでいた。

フォームには、「競技種目/希望日時/紹介者/症状」などを書く欄があり、少し変わっているなぁと思った記憶がある。

僕は、競技というにはおこがましいのだけれど、一応、競技種目欄に「ランニング」と記入。紹介者欄にラン仲間の名前、症状欄には、座骨神経痛の状況を書いて送信。その後すぐ、深い眠りに落ちた。

翌朝目覚めると、幸運にも、当日の昼が空いているという返信をいただいたので、すぐに折り返し、その時間を予約。

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数時間後には、店の前に佇んでいた。

訪問前に、Webで、受診者の体験レポートなどを流し読みしていると、とにかく「痛い」のオンパレードということで、僕は、かなりびびっていた。

しかし、それとともに、「とっても効いた!」という報告がセットになっていたので、大いに期待して扉を開いた。

治療院は2Fにあったので、階段を上っていくと…。 

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 いきなり、ナンバーカードやメダル、トロフィーなどに遭遇。

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廊下には、藤原新選手のオタワマラソン優勝時ポスターがあった。

少し進んで待合室へ。

通常、治療院の待合室というと、椅子と週刊誌などだけが用意された、殺風景なところが多いと思うのだけれど、ここは全く違っていた。

とりわけ、すぐに僕の目を惹いたのは…。

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WMM(World Marathon Measure)各大会のメダルと、6STARS フィニッシャーの6連メダルだった。

おぉぉ!と、僕は思わず声を上げそうになってしまったほど。

その前夜、WMMの話題で盛り上がったばかりだったから、感動はひとしおだ。

待合室には、名だたるランナーたちの色紙も沢山飾られていた。

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f:id:ICHIZO:20180116034053j:plainとりわけ、僕が敬服している鏑木毅選手の色紙と、その言葉「楽しむ勇気を!」には、大きく心を動かされた。

待合室内には、ランニング雑誌類も一通り揃っていたし、ラン関係のグッズなども販売されていた。

まさに、「ランナー色満載」の治療院だったのだ。

そんな待合室の状況に驚いていると、ほどなく、僕の名前が呼ばれた。治療開始の時間だ。

僕は、やがて訪れる筈の猛烈な痛みに備えて、覚悟を決めた。

まずは、施術いただく先生に、症状を説明。

その際、ランニング歴やタイム、出走してきたレースなども問われたので、一通り話をさせていただいた。

先生は、僕の話を非常に興味深く聞いてくださったあと、鍼治療にとりかかりますと宣言した。

治療の間も、話はランニングのことばかり。

先生自身もランナーであり、また、この治療院がランニングチーム(各種大会での優勝、入賞多数!)と関わっていると言うことで、まさに、ランナーのための治療院、と言う印象を受けた。

それだけではない。

僕と同時刻には、カーテンを隔てて何人もの患者が治療を受けていたが、そこから聞こえてくる話も、ランニングのことばかりだった。

しかも、その話題がハンパじゃない。

「最近、キロ3分で走れなくなってきた」(!)とか、どこかのレースで入賞したとか、もの凄い話が飛び交っている。

いやはや、「本当にここは、治療が必要な人の場所なのだろうか?」と思うほど、レベルの高い話だった。

しかし…。

そんな話を聞きながら、僕は、「あぁ、ここに来て良かった」という思いで満たされていた。

施術を行う先生も、患者も、ランナーだらけの治療院。

だからこそ、僕のつらさ、苦しみも十分理解してくれる筈だし、回復に向けての実例も多い筈だからだ。

と。

僕にとって、人生初体験になる、鍼の痛みはどうだったのかと言うと…。

これが、意外にもそんなに痛くなかった。

ラン仲間からの脅しで、相当、恐怖のハードルを上げていたこともあるが、それに加えて、鍼を打つ場所が腰周りだったことが幸いしたようだ。

先生の話でも「腰は、痛みを感じにくい場所なんです」との話だった。

実際、腰を少し離れて、腿などに打った時は、結構痛みを感じたので、きっと、下肢に近づいていくほど痛くなっていくのだろう。*1

1時間の治療が終わった。

これで回復…という印象はなかったが、それは想定内。

治療中、先生から、僕の座骨周りは、相当固まってしまっていて、回復には、数回の治療が必要と言われていたからだ。

僕は、再訪を心に決めて、院を出た。

これまで数ヶ月、どうにも先が見えないリハビリを続けてきたが、ひと筋の光明が見えてきた。

…と、信じたい。

 

*1:Webでの激痛レポートや、ラン仲間の話でも、最も痛いのは、「足の裏」とのことだった。

フロストバイトロードレース、断念…後の心残り

断念に、迷いはなかった。

最近は、少しでも長く走ると、座骨に響いて、数日その痛みが引かないような状態になっていたからだ。

年始の走り初めでは、たった10km程度走っただけなのに、その後、数日間もダメージが残った。

だから、しばらくは自重していようと思ったのだけれど、よせばいいのに、先週末騙しだまし15km程度走ったら、再び、数日間、座骨周りが痛くなってしまった。バカすぎだ。

こんなことを繰り返していたら、どんどん回復が遅くなり、治るものも治らなくなる。

だから…。

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明日のフロストバイトロードレース出走は、断念することに決めた。

レースとなれば、僕の性格上、無理して頑張ってしまうに決まっているし、それで20km超も走ったら、その後のダメージは、きっと計り知れない。

ここはしっかりと休息をとり、何とか、東京マラソンまで回復に努めるべき。そう思ったのだ。

大好きなレースだったし、今年からコースが変わると言うこともあり、楽しみにしていたのだけれど、仕方ない。

ただ、明日、現地には行こうかとも考えていた。

このレースは、参加賞のトレーナーが実に魅力的で、それを受けとるだけでも価値があると思っていたからだ。

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過去のレースでもらった参加賞。

毎年、独特で奇抜なデザインとなっていて、素敵で気に入っている。

この参加賞は、出走者本人が、基地内で受けとることしかできず、別途郵送などには対応してもらえない。

ということで、トレーナー受け取りついでに、ラン仲間の応援に回ろうか…とも思っていたのだけれど、別件で、緊急の予定が入り、それも叶わなくなった。

レースを走れないのは、今の状態だから、すんなり諦めがついているのだけれど、今年のトレーナー、欲しかったなぁ…。

それだけが僕の心残りだ。

電子機器の夢を見る?餃子ランナー、2018年の抱負

気がつけば、三が日が明けてしまった。

最近は、歳のせいで、月日の経つのが非常に早く感じる。

このままだと、ぼうっと過ごしている内に、「年始から1ヶ月過ぎてしまった」「上半期が終わってしまった」「年末になってしまった」という感じで、1年が過ぎていきそうだ。ちょっと恐い。

ブログも14年目に入り、毎日つらつらと書き続けているけれど、最近は、それにも少し疑問を感じてきた。

ということで、少しでもそんな自分を奮い立たせるため、今年の目標だけは立てておこうと思った。

ということで…。

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2018年こそは叶えたい大きな夢から、日々の暮らしの中で心がけたい小さな目標まで、あなたの「2018年の抱負」を教えてください。

はてなブログ、今週のお題「2018年の抱負」に乗ってみる。

以前は、僕も細かく抱負を立てていたのだけれど、達成できずに終わって後悔が残ることが多かったため、シンプル、かつ、簡単な抱負に努めた。

まずは…。

元気な身体でレースに出る。

今年の、僕の最大の目標。

昨年、座骨神経痛を発症して以来、僕の身体は、どうにもおかしくなってしまった。元気な身体で、マラソンレースを完走することができなくなってしまったのだ。

春の時点ではサブ3.5ランナーだったのに、秋以降は4時間も切ることができなくなり、そのタイムは落ちる一方。

しかし、それはある意味、自業自得だったかもしれない。

整形外科医に通って、治療やリハビリこそ行っているが、「治すために」万全の対策をとっていたとはいえないからである。

痛みをこらえつつ、中途半端な練習を繰り返す毎日。

水戸黄門漫遊マラソンは大事をとってDNSしたものの、ベルリンや大阪マラソンは諦めることができず、無理矢理遠征。そんな状態で、結果を出せる筈がないのだ。

しかも、レース後は反動も出ているので、怪我の回復がさらに遅れている。

だから。

今年は、2018年は、レース出走を必要最小限にとどめて、まずは、身体を治す、ことに専念していきたい。

折角当たった、念願の「新コース」東京マラソンだけは、いかなる状態であろうとも出走するつもりだけれど、あとは、体調優先。

今の身体の状態では、100km走なんてとんでもないと思うので、サロマ湖100kmウルトラマラソンへの出走も、今年は諦めるかもしれない。

毎月、長編小説1冊とロードショー1本を楽しむ。

これまでの休日、まとまった時間がとれると、僕は、走ることばかり考えていた。

平日は、なかなかロングランの時間がとれないので、休日はとにかく長く走ろうと思っていたのだ。

しかし、前述の通り、現状はまともに走れる身体ではなくなってしまったため、その分の時間を、文化的な(?)ことに費やそうと思う。

本と映画だ。

特に、本。物語を読むことが大好きだった筈なのに、最近は、全くそれが出来なくなってしまっている。実に情けない。

実用書的な類いや、短編小説についてはそれなりに読んでいるのだけれど、長編小説を読み続ける気力が失われて久しい。

だから、今年は、最低でも毎月1冊は長編小説を読むことを目標にしたい。

ロードショー鑑賞については、座骨神経痛との戦い。

もともと、映画館でロードショーを見るのは大好きなので、これまでも、何とか時間をやりくりして、話題作を見に行っていた。

だから、一昨年までだったら余裕の抱負だった。

しかし、昨年夏以降は、座骨神経痛のせいで、長時間の映画鑑賞が厳しくなってきてしまった。痛恨だ。

今年は、長時間の座姿勢にも耐えられるような対策*1をとった上で、何とか鑑賞に出かけたい。

 「夢見る電子機器」を紹介する!

昨年は、電子機器系、モバイルガジェット系のエントリーが少なかったように思う。

買って良かったものについては、エントリーでもまとめたが、その台数は、たった4台(機)にとどまっていた。

数年前は、全く違う状況だった。

もともと、このブログは、モバイル系のネタが一番多かったのである。

毎日のように、海外から取り寄せた、怪しい端末(?)の話を書いていたこともあるほど。

まだ、iPhoneが日本に上陸する前、スマホなどという略称もなく、同僚たちには、「スマートフォン、何それ?」と言われていた時代だ。

しかし、最近は、誰も彼もがスマホを持つような時代になり、ワクワクするような端末が少なくなって、自然、エントリーの数も減っていた。

ただ、決して、このジャンルが廃れてきた、ということではない。僕の気力が足りないだけ。

電子機器の世界は幅広く、そしてまだまだ奥深い。

実際、昨年も、GPD Pocketという端末には大きな可能性を感じたし、ゲットに至るまでは苦労もあったので、何度もエントリーを書き連ねた。

ただ、実際に入手してからは、それを使いこなすことができておらず、気力の衰えを感じている。

でも、今年は、原点に返ろう…と思っている。

ブログタイトルに負けないよう(?)電子機器たちに夢を見出し、そして、紹介できるように頑張りたい。

餃子ランナーとして走る!

昨年、2017年は、餃子ランナー的な活動が、あまりできなかった。

このエントリーで書いた通り、僕は、日本各地のレースに出場するたび、その地の餃子を食べ続けてきた。

だから、そういった意味では餃子ランナーと言えるかもしれない。

しかし、それはあくまで「広義」の意味であって、本来の餃子ランナーとしての活動*2は、もっと奥深いものだ。

2016年の僕はとても元気だったから、精力的に餃子ランナーとして走り、そして食べていた。

G.W(Gyoza Week)には、「東京~宇都宮ウルトラマラソン」を敢行。餃子の街、宇都宮まで100kmを完走したものの、失敗に終わってしまった。

しかし、そのリベンジを兼ねて、春と秋にひとり餃子マラソンを敢行。

多くの餃子店を巡りながら、走り続け、食べ続けたのだ。

それに比べると、去年は、大いに不満が残る結果になってしまったため、今年、2018年は、餃子ランナーとしての活動ができるよう、身体をしっかり整えて、チャレンジしていきたい。

餃子ランナー的活動としては、もうひとつ、大きな抱負がある。

大阪マラソンでの仮装用に購入し、結局使うことができなかった、餃子のかぶりものを着用して、どこかのレースに出走すること。

餃子ランナー、としては、これもひとつの大きな目標だ。

 

*1:家やオフィスで使っている、こういったクッションを、劇場に持ち込んでいくなどw

*2:いったい誰がそんなことを定義しているのかは不明w

エアロバイクを漕ぎながら見た「第94回 箱根駅伝」復路

新年早々、肋骨が、痛い。

いや、もともとは、昨年末、起き上がる時に突然痛めたものだ。

僕は、肋骨周りが弱いのか、これまでも、何度も痛めている箇所だった。座骨神経痛も全く治まっていないので、本当ならば、年末年始はおとなしく、安静につとめているべきだった。

ところが…。

「走り初め」「初日の出ラン」が、どうしても諦めきれず、僕は、元旦から走ってしまっていた。

少し走ると痛みが生じてしまったから、ウォーキング混じりではあったけれど、そんな感じであっても、やっぱり、走るべきではなかったのだ。

案の定、2日から痛みは増してきて、走るどころではなくなってきた。バカとしか言えない。

昨日も、そして今日も、とってもいい天気で、ランニング日和なのに…年末年始の食べ過ぎで減量が必要なのに…走れないというのは、どうにもこうにも、もどかしかった。

さらに…。

祈りながら見ていた「箱根駅伝」の復路における、母校中大の状況が、僕の切ない心に追い打ちをかけた。

生観戦した往路では、シード圏内の10位でレースを終えたのに、復路6区に入ってほどなく、2校にまとめて追い抜かれて12位。

それ以降、順位を全く上げることができず、シード権とのタイム差は開く一方になってしまった。

僕は、外出途中の帰宅途中の電車内で、やきもきしながらその状況を追っていたが、自宅のテレビで落ち着いてその状況を確認する気分になれなかった。

ということで、僕は、帰宅後、近所のジムへ出かけることにした。

エアロバイクを漕ぎながら、箱根駅伝を観戦する作戦(?)だ。

バイク漕ぎなら、座骨神経痛でも肋骨痛でも問題ないし、ジムで運動しながらだったら、駅伝観戦も落ち着いてできるような気がした。

しかし…。その目論見は、開始早々に崩れる。

ジムに到着し、エアロバイクに跨がり、テレビをつけたとたん、僕は衝撃的なシーンを目の当たりにした。

9区。鶴見中継所。母校中大の順位は14位にまでダウンしていた。

そればかりか…繰り上げスタート40秒前で、母校の襷を繋ぐこともできないという状況になる寸前だった。

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そのシーンは、TVの復路ハイライトシーンでも取り上げられていた。中大は、それでも何とか襷を繋げたが、その後に続いた國學院大學は…。

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あと10mまで迫っていたのに、母校の襷を繋ぐことができず、無念の繰り上げスタート。

交通規制やTV中継時間などの関係で、仕方のないことだとは思うけれど、こういったシーンを見るたび、僕は、選手の気持ちを思っていたたまれなくなる。

その後、僕は、淡々とペダルを漕ぎながら、10区の動向を眺めていた。

優勝争いは、復路に入って以降、絶対的な強さを取り戻した青山学院大学が危なげなくレースを進めて…。

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ぶっちぎりの大会新でフィニッシュ。

往路では東洋大学の後塵を拝したものの、最終的には、絶対王者ぶりを見せつけた。

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2位は、往路優勝の東海大学。

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3位は早稲田大学となり、終わってみれば、昨年と全く同じトップ3。

これだけ見ると、至って順当な結果のようにも思えるが…。

f:id:ICHIZO:20180103174549j:plain昨年4位だった順天堂大学は、10区で中央学院大学に迫ったが、14秒届かずにシード落ち。

勝負の世界の厳しさが浮き彫りになった。

そして…僕の母校は…。

10区後半では、殆ど中継で名前を呼ばれることもなくなってしまったため、いったいどうなっているのだろうと思っていたら…。

f:id:ICHIZO:20180103175142j:plain15位だった。

僕は、ちょっと切なくなったけれど、でも、気を取り直した。

去年は、この舞台に立つことさえできなかったのだ。箱根の舞台に出てくれたこと、それだけで嬉しい。

順位としては、一昨年と同じ15位だけれど、一昨年は、繰り上げスタートになり、母校の襷を最後まで繋ぐことができなかった。

しかし、今回は、ひとつの襷が最後まで繋がったし、往路10位のメンバーは、3年生以下なので、全て来年も出走が可能。

来年へ、夢を繋げるレースはできたと思うのだ。

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僕は、優勝した青山学院大学監督、選手たちのインタビューを見ながら、バイクを降りた。

気がつけば、1時間以上僕はペダルを漕ぎ続けていて、汗びっしょりになっていた。

本当は、外を走る方が断然気持ちいいし、大好きなのだけれど、走れないのだから仕方ない。

たとえ走れなくても、駅伝を見ながら汗をかくこともできたので、ジムトレーニングも悪くないなぁと思った。

 

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2018年、第94回箱根駅伝2区。選手たちのスナップ~母校中大の復活への祈り

毎年、1月2日は、「箱根駅伝」リアル観戦の日。

それは、僕にとって、とても大切な イベントだった。

僕がランニングを始めたのは、2010年の秋だけれど、箱根駅伝のリアルタイム観戦は、それよりずっと前から行っていた。

その観戦記録は、もちろん、このブログ*1にも残っている。

2005年。今から13年前の観戦記だ。

読み返してみると、改行なども殆どなくて実に読みにくいが、勢いだけは感じる文章で(ホントか?)僕も若かったんだなぁ…と思う。

当時、僕が箱根駅伝を生観戦しようと決めたのは、母校である中央大学を応援するため。

13年前、まだ、中大は、《常連》の位置づけを保っていて、優勝候補ではないものの、シード権については《安泰》の状況だった。

この時、僕が観戦した2区では、18位で目の前を通過したため、大きなショックを受けたのだけれど、そこから、流石の底力を発揮。

往路では、6位まで順位を引き上げ、最終的には4位(復路だけなら2位!)にまで上り詰めている。

あぁ、やっぱり中大は凄いなぁ、と思ったことを思い出す。

それから毎年、僕は生で観戦をし続けた。

  • 2006年:8位
  • 2007年:8位
  • 2008年:7位
  • 2009年:10位
  • 2010年:4位
  • 2011年:6位
  • 2012年:8位

母校中大は、僕の目の前では苦しいレースの時もあったが、最終的にはきっちりと帳尻を合わせて、シード権を守り続けてきた。

これからも、ずっと守り続けてくれると思っていたのだけれど…。

2013年。

思いも寄らなかった悪夢が訪れる。

僕が観戦していた2区でも、17位で大きく苦しい状態だったが、僕はきっと、古豪の底力で巻き返してくれると信じていた。

ところが…。

なんと、5区で、野脇勇志選手が、低体温症による途中棄権。

28回連続して獲得していたシード権を失うばかりか、中大の箱根駅伝史の中で初となる、「記録なし」という大会になってしまった。

その後3年間は、なんとか予選会を勝ち上がって出走権は得たものの、結果は惨憺たるもの。

  • 2014年:15位
  • 2015年:19位
  • 2016年:15位

僕が観戦している2区でも、常に後ろの方から数えた方が早いような状況だった。

それでも、何とか出場は続けていたが…。

2017年の出場を賭けた予選会において、出場権獲得まで、わずか44秒差で無念の敗退。

それまで87回連続していた出場記録が途絶えてしまい、僕は大いに沈んだことを思い出す。

明けて2017年。中央大学の出場しない箱根駅伝。

僕は生観戦には行かなかった。ラン仲間との新年会で、TV観戦はしたものの、そういう会でもなければ、テレビさえも見なかったかもしれない。

それぐらい、僕は、箱根駅伝での中大ロスに沈んでいたのだ。

だから…。

昨秋の予選会で。

3位という好成績で、本戦への復活を遂げてくれたことは本当に嬉しかった。

ということで、2年ぶりの母校の姿を確かめるため、僕はもちろん、生観戦に出かけた。

これまでは、戸塚中継所の少し手前で観戦することが多かったのだけれど、今日は、観戦後、横浜駅で予定があったため、横浜駅の隣駅となる、高島町近辺で観戦。

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この辺りは、早稲田大学応援団のスポットとなっているようで、個人的には、ちょっとアウェイ感(?)もあった。

しかし、見渡しが良くて観戦しやすそうだったし、選手通過の30分前でも最前列がとれたので、結果的にはいい場所だったと思う。

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最初に僕の目の前を通過したのは、東洋大学の相沢選手。

radikoアプリが不調だったたため、僕は、この時点で、次にどんな選手たちが続いてくるかわからなかった。

だから、中大の選手が、少しでも早く来てくれることを望みながら、シャッターを切り続けた。

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2位争い。神奈川大学、東海大学、青山学院大学の選手が併走。

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5位争い。順天堂大学と早稲田大学。

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7位争い。駒澤大学と國學院大学。

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9位、10位は外国人コンビ。

山梨学院大学のニャイロは、17位で襷を受けとって、この時点で既に8人抜き。結果的には、13人を抜いて4位まで浮上。

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11位は日本体育大学。

シード権は10位までなので、もう、この順位では圏外。僕は、なかなか登場してくれない母校に、少し不安が募っていたところ…。

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中大、堀尾選手が来た!

僕は大いに叫んで、2年ぶりの母校選手を応援した。

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デジカメならば、ここまで寄っても綺麗に撮れる。

僕は、のPowerShot SX720 HSを持って行って良かったなぁ…とあらためて思った。

母校中大に続く選手たちも、もちろん撮影。

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街頭の応援は、最終、関東学生連合の選手が通過するまで絶え間なく続いた。

僕は、あらためて、生観戦の素晴らしさに酔った。

その後、用事の合間に、Webでつらつらと速報などを眺めていると、中大が大健闘していて、嬉しくなった。

堀尾選手は、僕の目の前を通過したときは12位だったのだけれど、その後順位を上げて、戸塚中継所では9位で通過。

続く3区、4区では、8位まで順位が上がっており、僕は大いに歓喜した。

で、往路の結果は…。

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10位。何とかシード圏内を維持した。

少し順位は落としたものの、山登りは、他校にスペシャリストが多いので、ここまで踏ん張れたのは大いなる収穫だと思う。

決して楽観できる順位ではないし、持ちタイム的には苦しい戦いになると思うけれど、かつての箱根駅伝で、中大は、何度も不利を乗り越えて、シード権を獲得してきている。

シード権で返り咲いてこそ、本当の復活。

何とか、明日の復路でも、10位以内に残れるよう祈りながら観戦したい。

 

箱根駅伝ノート

箱根駅伝ノート

 

 

*1:正確に言うと、このブログの前ではなく、はてなダイアリーで書いていた「言い捨ての小部屋」と言うブログなのだけれど、過去ログは全てこのブログにリダイレクトさせているし、内容も同じようなものなので(^^;

'18 走り(歩き)初め&初日の出&初富士@横浜港

僕の新年は、毎年、横浜港で始まる。

数年前までは、コスモワールドのカウントダウンで年越しの瞬間を迎えるのが常だった。

しかし、いざカウントダウンに参加してしまうと、僕は、疲労と睡魔に勝てず、朝までは起きていられなかった。

ということで、一昨年から方針を変更。

夜明け前から走り出して、初日の出の瞬間を横浜港で迎える作戦だ。

これが大成功。

一昨年は、月と木星のコラボレーションも堪能することができ、最高に素晴らしかったことを思い出す。

ということで…。

去年も実施。

大桟橋からは、綺麗な富士山も眺めることができ、爽快な走り初めだった。

3年目となる今年は、すっかりこのパターンにも慣れてきた。

が、決して快調に走れた…というわけではない。

かねてからの座骨の痛みに加えて、数日前に肋骨を痛めてしまったため、少し走るだけでも痛みが生じていたからだ。

普通の朝ならば、もちろん、夜明けランは自粛。しかし、今日は特別な朝。一年に一度しかない一日。

だからやっぱり諦めきれなかったため、ウォーキング混じりに、写真を撮りながら進んだ。

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ライトアップされた赤レンガ倉庫を見ながらスタート。

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走って(歩いて)いるうちに、真っ暗だった空が、わずかに青く、そして、紅く染まっていく。その情景が美しい。

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みなとみらいランコースを走る時の定点で撮影。日本丸とコスモクロックの情景だ。

見慣れた景色なのだけれど、特別な1日の夜明け前は、やっぱり素敵だった。

この辺りから、朝焼けがとても美しく輝き始めてきた。

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いやぁ、素晴らしい。

僕は、そんな情景に見惚れながら、走ったり歩いたりして、初日の出を見ようとする場所に急いだ。

日の出時刻の20分前。

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その場所…大桟橋へ向かう道は、大勢の人で賑わっており、走るどころか、歩くのにも苦労するほどだった。

それでも何とか僕は、今年もいい観賞場所をキープ。

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 PowerShot SX720 HSを携えながら、「その瞬間」を待っていた。

横浜港の日の出時刻、6:51を過ぎ、ほどなくすると…。

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初日の出が上った!

その瞬間、インスタ映え用に準備された船(違うってw)も通過。

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あぁ、今年も、横浜港で、この情景を眺めることができて良かったなぁ…。

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大桟橋に集まった人たちも、皆、素晴らしい初日の出に感激しているようだった。

昨日の朝は、あいにく、みぞれ交じりの天候だったため、ちょっと心配していたのだけれど、今日はすっきりと晴れて、本当に良かった。

雲一つない快晴ということで、昨年同様、赤レンガ倉庫越しに、初富士も眺めることができた。

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工事用のクレーンがちょっと…という感じではあるけれど、でも、初富士は初富士。

僕は、今年も無事に、初日の出と初富士を迎えることができた喜びに浸った。

あいにく、思いっきり走れるような身体ではないものの、元気で新年を迎えることができたことが、とても幸せだ。

どうか、いい年になることを祈りたい。

 

 

 

なぜか北海道マラソンのメダルについて語りたくなった大晦日

気がつけば大晦日。

2017年も、いつのまにか最終日になってしまった。

今年は、僕のラン人生にとって、色々と悔いが残る1年となってしまったけれど、何とか来年は、いい年に、復活の年になるよう、祈りたい。

年末にかけて、週末ごとに部屋の整理などを行い、今年も色々なものを断捨離した。

ラン関係のものでも、割り切って、実用的でないものは、できるだけ捨てるようにしたが、絶対に処分できないものがあった。

完走メダルだ。

ランニングを始めるまでの人生において、僕は、メダルなどとは縁がない人生を送っていた。

だから、「フルマラソンを完走するとメダルがもらえる!」というのは、本当に嬉しく、レース参加へのモチベーションも、非常に大きくなる。

最初の頃は、参加賞のTシャツも嬉しかったのだけれど、これは、結局着ないものが溜まる一方で、ちょっと悩ましかったりもする。

しかし、メダルは今でも嬉しいし、単なる参加賞ではなく、完走の証でもあるので、これからも増やし続けていきたいと思っている。

ただ…。

どんなレースでも、必ずメダルがもらえるわけではない。

かすみがうらマラソンやつくばマラソンなど、関東圏ではかなり大きな大会と言えるレースでも、完走メダルが用意されていない場合もある。

僕が初めて出走し、完走したフルマラソンである、2011年の勝田全国マラソンも、完走メダルのない大会だった。

だから、僕にとっての初完走メダルは、その半年後…。

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北海道マラソンでいただいた、このメダルになる。

この年の北海道マラソンは、まだ、12時10分スタートの厳しい条件だった。

最高気温28.9℃!という灼熱の条件の中、僕は、何とか走り抜いたものの、ゴール後、倒れ込んでしばらく動けなかったことを思い出す。

だから、僕にとって、非常に思い出深い完走メダルなのである。

僕の「人生初」メダルが、オーソドックスなメダルの形状ではなく、独特なデザインだったことも印象深かった。

道マラ25周年記念ということで、北海道美唄市出身の彫刻家、安田 侃氏がデザインを担当。<妙夢(みょうむ)>という、氏のパブリックアートをモチーフにしたものになった。

僕は、そのデザインをとても気に入って、一生の宝物にしようと、この時は思った。

しかしまさか、その後4年間も…。

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全く同じメダル(違うのは紐だけ)が配布されるとは思っていなかったw

僕は、北海道マラソンが好きで参加し続けていたため、あくまでメダルは副次的なもの。

だから、まぁ、もらえるだけありがたいと言えるのだけれど、他の大会においては、毎年変化があったりしたため、「ちょっと飽きたなぁ…」と思っていたことも確かだった。

だから、昨年、30周年を機に、新しいデザインに変わり、今年もまた、それとは違うデザインのメダルがもらえたことはとても嬉しかった。

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7年連続、7年分の思いが詰まったメダルたち。

こんなに寒い日なのに、北海道マラソンのことを書いていたら、何だか気持ちが熱くなってきた。

北海道マラソンは、僕がマラソンを始めて以来、唯一、毎年連続して出場してきている大事な大会。

僕は、もちろん来年も、灼熱の大地を走るつもりだし、そしてその時には、是非また、チームはてブロの皆さんと集まって、最高の青空宴会を堪能したい。

来年夏の話なので、気が早いかもしれないけれど、もう大晦日だから、鬼にも笑われないかな(^^;

 

北海道ランニング大会ガイド2017

北海道ランニング大会ガイド2017

 

 

「サロマ湖」の波が、押し寄せてきた2日間(後編)

(承前)

たかが数キロ、されど数キロ。

元気な時ならば、口笛を吹きながら走るような距離なのだけれど、この日は違った。

風は北風の向かい風。この日の最低気温は4度と発表されているが、河川敷の体感はもっと寒く感じた筈だ。

そんな中、僕は、Tシャツと短パンの軽装備。すれ違うランナーたちは、皆、しっかりと着込んでいたので、僕だけがあまりに浮いていた。

軽快に走っているのならばまだしも、ぶるぶると震えながら、よたよたと進んでいるだけなので尚更。

この日はハーフ距離を走る、と決めていたので、何とか頑張ってしまったのだけれど、今から考えれば、そんなことにこだわっていた自分がバカなんじゃないかと思う。

それぐらい、僕はつらかった。

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何とか…荒川大橋に到達。

ここから赤羽の駅までは1kmあまり。駅にさえ辿り着けば、温かい構内、電車が待っている。

しかし、その駅までが、僕にとってはあまりにも遠い道程だった。

足が震えて、もう、歩くことさえ困難になっていたからだ。

そう。

今年、サロマ湖100kmウルトラマラソンをリタイアしたときの状況に、非常に似ている。

あの時も、リタイア後は、少し進むだけでも身体が震えて、そして、足が痛んでいたことを思い出す。

悪夢再び。

はてブロランナーには、北海道の方々も沢山いて、皆、0℃を下回るような気候の中を走り続けている。

だから、4℃で寒いなんて言ったら笑われるかもしれないが、寒さに弱い体質の僕にとっては、十分にきつかった。

ただ、それは、全て自己責任。サロマの時と同様、しっかりと防寒対策を取っていれば、防げた筈の問題なのだ。

僕は、自分のバカさ加減を呪った。呪いながら歩いた。

正直、生命の危機さえ感じたほどで、そこからは、凍えた身体を引きずって、ただ、一歩、一歩と歩くのが精一杯だった。

とりあえず、河川敷から一番近いセブン-イレブンに駆け込んで暖をとり、糖分補給のために菓子パンを購入。

僕は、精神的に余裕がなく、写真さえ撮り忘れてしまったほどだ。

本当は、もっとゆったりと店内にいたかったのだけれど、店員が、不審そうな顔で僕を凝視するので、仕方なく外に出た。

寒い!

うぉぉぉー。寒すぎる。

いったん、暖かいコンビニの店内に入ってしまっただけに、僕は、ひときわ、その寒さを痛感した。

僕は、寒さの中、震えながらパンを食べたが、その味さえもまともに感じられなかった。

できれば、もう一度コンビニに戻りたかったのだけれど、どうにも店員の感じが悪い*1ので、戻りたくなかった。

ということで、何とか駅までの道程を歩み続けて…残りあとたった500mあまり。

しかし、それでも、また耐えられなくなり、今度はファミリーマートに駆け込んだ。

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 「ファミマのホットドリンクで、あったまろ。

大きく共感。僕は、正直、このドリンクたちを身体に巻きつけながら歩きたいとまで思った。

しかし、そんなことはできないので…。 

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とりあえず購入。

僕は、店員の許可をもらって(このファミマの店員は、もの凄く優しい感じだった。)店内で、ゆっくりと呑ませてもらった。

くーーーーーーっ。

身体の中に、ほうじ茶の優しさ、温かさが染みこんでくる。いやはやたまらない。

前述のセブン-イレブンで、僕は、取り急ぎ食料を補給してしまったのだけれど、僕に本当に必要なのは、この温もりだったのだ。

そんな冷静さも失っていたことに、僕は我ながら驚愕した。

身体の中に温もりを取り入れたことで、僕は少しだけ楽になったような気がした。

それから5分ぐらいは店内にいたろうか。何とかまた動き出せそうになったので、僕は両手でペットボトルを握りしめながら、駅までの道程を歩き続けた。

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到達!

いやはや遠かった。つらかった。ほんとに、泣けてくるほどきつかった。

でも、何とか僕は辿り着けたのだ。本当にホッとした。

Tシャツ短パン装備の僕は、駅の構内でも、電車の中でも違和感たっぷりだったけれど、そんな人目など気にしていられる心の余裕はなかった。

僕はただ、何とか生還することができる喜びで、胸がいっぱいだった。

その後…。帰宅し、家で暖をとった後は、すっかり回復。

昼には、餃子の王将に出かけて500円割引券をゲットまでしている。現金なものだ。

夜は、職場系ラン仲間との忘年会で、所沢まで繰り出した。

最高に楽しい会だったのだけれど、途中、一瞬だけ僕の心は沈んだ。

サロマの話が出たからだ。

僕は、毎年、この仲間たちとともにサロマ湖100kmマラソンに出場しているから、必然的に、今年のサロマについても、今年の話題に上る。

僕は、仲間たちから、リタイアしたときの感想を、あらためて問われた。

雨と寒さのせい、十分な防寒対策ができていなかったせいだと言い訳し、「その間違いを、今日の河川敷でもやってしまって…」と、笑い話に昇華させた。

皆は大いに笑ってくれたけれど、その一方で、僕は再び、自分のバカさ加減を思い出し、憂鬱になっていたのである。

翌、25日。

仕事から帰宅すると…自宅のポストに、これが投函されていた。

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来年6月開催、サロマ湖100kmウルトラマラソンの案内ハガキだ。

今年のエントリー者には自動的に送付されるシステム(?)になっているようで、リタイアした僕にも届いた。

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 「澄んだ空気と、美しい風景のもとで」というキャッチコピーが恨めしい。

少なくとも、ここ2年は、そんな情景とは無縁のレースになっていると思うからである。

もしも来年のサロマが、今年と同じような条件のレースになると決まっているならば、僕は絶対に出場しない。

防寒対策をとればいいだけのこと、とは思ってもいるが、あんな寒い天候の中、100kmも走るのはまっぴらだ、という気持ちもある。

天候については、当日になってみないとわからないので、実に悩ましいが、ここ2年のレースで、僕は、サロマへの思い入れが、一気に下がってしまった。

サロマンブルーを目指したい気持ちはあるものの、あと5回も残っているし、それほど大きなこだわりたいという気持ちも失われている。

うーん、どうしようかなぁ…。 

 

違う自分になれ! ウルトラマラソンの方程式

違う自分になれ! ウルトラマラソンの方程式

 

 

*1:Tシャツ短パンの装備で震えている僕の姿は、異様だったかもしれないから、不審者扱いされても仕方ないかもしれないけれど…。

「サロマ湖」の波が、押し寄せてきた2日間(前編)

一昨日、12月24日の早朝は、荒川河川敷に繰り出した。

夕方からは、所沢でクリスマス餃子パーティが控えていたため、夜明け前に走っておこうと思ったのだ。

座骨の痛みは相変わらず続いているのだけれど、医者からも、「むしろ少し走った方がいい」と言われているので、スピードさえ出さなければ問題ない。

だから、軽い気持ちで、ハーフ距離ぐらいを走るつもりだった。

と…この「軽い気持ち」の決心が、あとで大きな後悔を僕にもたらすことになる。

走り出した時刻は、まだ夜明け前。

僕は、Tシャツ、短パンという軽装備で赤羽から出発し、河川敷コースを走り出した。

ちょっと寒さを感じたが、「なぁに、走っている内に、きっと暖まってくる筈だ」と思った。

f:id:ICHIZO:20171226043827j:plain荒川大橋下。

画像補正をしないと、真っ暗すぎて、何が何やらわからないほど暗い。

僕は、ヘッドライトを持ってこなかったことを少し悔やんだが、これも、「まぁ、すぐ明るくなってくるだろうし…」と思って、気にしなかった。

しかし、これも大きな間違いだった。今から思えば、この日のランは、あまりにも準備不足だったのだ。

僕は、真っ暗な道で、何人もの人とぶつかりそうになった。

真っ暗な中、結構、ゆっくりと散歩をしている人たちがいるのである。

ランプぐらいつけていて欲しいなぁ…と思ったが、「おまえがつけろよ!」と言われそうだし、もちろんその通りなので、僕は自分の甘さを悔いた。

何とか気を遣いながら、ゆったりと走ったが、ストレスの溜まるランになってしまったことは間違いない。

荒川河川敷コースは、前日の土曜日に、「足立フレンドリーマラソン」というレースが行われていた筈だけれど、もう、その余韻は全く残っておらず、その代わりに…。

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来年1月に実施される「ハイテクハーフマラソン大会」の看板が、あちこちに掲示されていた。

荒川河川敷は、僕のホームコースとも言えるのだけれど、僕は、まだ、このレースに出場したことがない。

来年は、同日のフロストバイトロードレースを選んでしまったが、一度はこのレースに出てみるのも悪くないかもしれないと思った。

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江北橋下。

スカイツリーを眺めることができる場所での定点撮影。まだ、この時点でもかなり暗い。

この日はクリスマス・イブだったけれど、スカイツリーのイルミネーションは、いつも通りの変わらぬ色彩だった。

そこからしばらく走って、国道4号線を過ぎ…。

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北千住の手前、このあたりで僕は引き返した。

赤羽から走る場合、ここで引き返すと、ちょうどハーフ距離になるからだ。

ただ、この時点で、僕の身体は、かなり辛い状態になっていた。

今の僕は、たった10km走るだけでも、少しガタが出てくる。座骨の辺りが、少し痛み出してきたのである。

加えて、押し寄せてくる猛烈な寒さ。

走り始めは、まだ元気だったから、Tシャツ・短パンという軽装備でも耐えられたけれど、それからは、「慣れる」どころか、辛くなる一方。

それはそうだろう。

痛みのせいでスピードは出せないし、身体は疲れてくるし、さらには、一日で一番気温の下がる夜明けの時刻を走っているのだ。

僕は、あまりにも軽装備で出発したことを悔いた。自分のバカさ加減を呪った。

寒さに強い体質ならばまだしも、僕は寒さにめっぽう弱い。それは、去年のサロマで、十分にわかっていた筈じゃないか。

あの日の悪夢が、脳裏に甦ってきた。

雨こそ降ってはいなかったが、身体はブルブル震えて思うように動かなくなってきた。

しかし僕は、ここまで走ってきたのだから、あとは引き返すだけ、と思いながら、頑張って走った。

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帰路で、振り返って撮ったスカイツリーの情景。

すでに空はかなり明るくなってきており、ツリーは朝焼けに照らされていた。

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「東京喜多(北)マラソン」の看板も発見。

今から思えば、北区に入ったこの辺りで、河川敷から抜け出して、一般道に戻っていればよかった。そうすれば、電車に乗るとか、車を拾うとか、いくらでも、自由に行動できた筈。

しかし、一昨日の僕は、あと数キロぐらい何とかなると思って、そのまま走り続けてしまった。

それが、大きな間違いだったのだ。

(以下、続く。)

「チームはてブロ」納会&オレンジサプライズに感激の夜

昨日は、チームはてブロの納会に参加させていただいた。

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 会場は、神田錦町にあるランニングステーション「RUN CUBE」の、2Fにあるレセプションスペース。

そう。

昨晩は、市川パパさん主宰による練習会【パパ練@皇居】と【はてブロ納会】の2部構成だったのだ。

僕は、できれば皇居も走りたかったのだけれど、身体の調子と仕事の状況から、参加が叶わなかった。

納会のスタート時間である20時半にあわせて会場に着くと、既に、皇居を走り終えたメンバーたちが揃っていて、談笑を始めていた。

ほどなくして、市川パパさんのかけ声により、まずは…。

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乾杯!

総勢19名のはてブロランナーたちが集まり、実に壮観だった。

僕は、納会だけの参加…しかも、「はじめまして」の方が多かったのだけれど、温かく迎えていただき、最高の夜を過ごすことができた。大感激だ。

【RUN CUBE】は、【鹿屋アスリート食堂】とのジョイント施設になっていることもあり、出てきた料理は、アスリート向けのヘルシーっぽいものが多かった。

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残念ながら餃子はなかったけれど、どれも美味しくて感激。

ゆったりとした貸切スペースで、ビールをはじめ、飲み物は飲み放題だったし、宴の半ばでは、表彰式も行われて、大いに盛り上がった。

サブ3賞、遠征賞、カムバック賞、などなど…。

僕は、晴れ晴れしい笑顔でスピーチをしながら、景品を受けとっている仲間たちを、羨ましく眺めていた。

僕も、いつかは表彰されるようになりたいなぁ…と、思ったが、よく考えると、表彰されるようなことが思い浮かばないので、無理かもしれない。

あぁ、餃子を食べて走ったで賞、とかあればなぁw

気がつけば、時刻は11時。あっという間の2時間半だった。

宴のあと…帰り支度をしている途中、オレンジサプライズが。

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表彰者だけの特典なのかと思い、羨ましく眺めていた、はてブロのスポーツタオルを、僕もいただくことができたのだ!

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オレンジカラーに、チームはてブロのデザインが映える。

通常、スポーツタオル生地にプリントすると、文字もデザインもちょっと「でこぼこ」した感じになってしまい、なかなか綺麗に読み取れない。

しかし、このスポーツタオルは、違う。

きめ細かい生地に、くっきりと、実に鮮明に「Team Hatena Blog」の文字とデザインがプリントされている。

いやはやこれは素晴らしい。

僕のオレンジコレクションに、またひとつ、最高のアイテムが加わった。

本当に嬉しい。

オレンジ色の憎いヤツが来たーっ!

と、言っても「夕刊フジ」のことではない。

今の若い人には全くわからないネタ振りだと思うけれど、気にせず先に進めようw

そう、待ちに待っていた「あれ」が届いたのだ!

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「チームはてブロ」Tシャツ、新色のオレンジ。

僕は、とにかく オレンジ色が大好きなので、いやはやたまらなかった。

今回の郵送物の中には…。

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こんなメッセージカードまで添えられていた。

僕はそこに書かれていたメッセージに心打たれて、感激しながらこれを書いている。

まさに、自分への、最高のXmasプレゼントをもらった気分。

びあー(id:beer_beer)さん、さつか (id:satsuka1)さんに、あらためて心から感謝したい。

この新色Tシャツが届いたことで…。

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僕の「はてブロTコレクション」が充実するとともに…。

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オレンジコレクションもパワーアップした。

それは良かったのだけれど、この写真の撮影時、大事なTシャツにラー油をこぼしてしまいそうになって、ちょっと焦ったw

いったい、早朝から僕は何をやっているのだろう…。

 

夕刊フジ

夕刊フジ

 

 

 

 


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