僕が餃子をこよなく愛する理由は数多あるが、中でもとりわけ大きな要素が「食感」だ。
特に、焼餃子の場合は、食感が命と言ってもいい。
小麦粉の皮が作り出す、絶妙の《もちもち感》と《カリカリ感》。
そのコントラストが大きいほど、焼餃子の魅力は際立つ。
具の食感は食材や刻み方などによって変わる。
とりわけ僕は、野菜の《ザクザク感》を残した食感の餃子を愛しているが、肉と野菜が細かく刻まれた《ほろっ》とくるような食感もいい。
また、噛むと肉汁が口内に満ち溢れるような《肉肉しい》食感もたまらない。
それぐらい僕は食感にこだわるたちなのだが、ただひとつ、どうしても受けつけない食感がある。
《ネバネバ》だ。
この食感は、子供の頃から大の苦手で、僕の天敵と言ってもいい。
納豆、とろろ、オクラ、モロヘイヤ、なめこ…。
こうやってその食品名を並べているだけでも、なんだか気分が重たくなってくる。
納豆は、その臭いも含めて完全NGだし、とろろは、それを食べる時の、ジュルジュルとした音まで受けつけない。
とりわけ許せないのが、野菜のくせにネバネバしているオクラやモロヘイヤ。
とろろも、元々は山芋だから同罪だ。
僕は基本的に野菜は大好きなのだが、これらのネバネバ系野菜は例外。
個人的に、野菜などとは認めたくなく、《ネバ菜》とでも呼んで、別分類にして欲しいぐらいだと思っている。
しかし世間では、こういったネバネバ食品を愛する方々がいるのも事実。
僕にとっては、住みにくい世の中になってきた。
16年前。
ローソンが、「ネバネバ王国」などという(僕的には)わけのわからない食品フェアをしていた時は、入店を避けていたほど。
幸い、この王国は数ヶ月ももたずに滅んでホッとしたのだけれど…。
なんと、2019年に突如復活したのには驚いた。
いやはや、この写真を見ているだけで、背中がムズムズしてきた。
いったいなぜ、一度滅んだ王国が、10年以上も経ってからシレッと復活するのだ。
ローソン内部に潜んでいた、ネバネバ王国の残党が蜂起したのか?
その食感ばりに、ネバネバたちの一派は糸を引くということか?
この時もまた、数ヶ月で王国は滅んだが、いつかまた、ネバネバ王国が復活するのではないかと、僕はいつも不安に怯えている。
…と、こんなことを今日突然書いたのには理由がある。
今朝、いつものようにアレクサに「おはよう」と呼びかけたら、彼女はこのように語ったからだ。
おはようございます。今日は、麦とろの日です。6を「むぎ」、16を「とろ」と読む語呂合わせが由来です。
食欲が落ちやすい梅雨や夏の時期には、麦とろごはんがいいと言われています。
「いいと言われています」って、いったい誰が言ったのか。
アレクサよ、無責任に薦めないで欲しい。
そもそも、「むぎとろ」というネーミングが納得いかない。「ねぎとろ」と間違えたらどうするんだ。
誤認しないように、「麦とろろ」と明確に表示してもらいたい。
【蛇足】
このエントリーの冒頭で、僕は、餃子をこよなく愛していると書いた。
餃子ランナーとして生きている以上、それは当然の話になる。
餃子と言う食べ物は懐が広く、どんな具材でも受けつけるから、例えば、オクラ餃子やモロヘイヤ餃子、納豆餃子などと言うものも成り立つ。
実際に存在もしているようなのだけれど、僕はまだ出会ったことがない。
もしも評判の良い餃子店に入った時、そんなものがメニューにあったりしたら、僕は食べたくなるのだろうか。それとも、やっぱり無理なのだろうか。
究極の「ほこ×たて」だ。