必要なのは、スタミナだ…と、僕は強く感じていた。
東京マラソンは、制限時間が7時間もあるレースなので、おそらく、完走はできると思う。
しかし、僕は今回、楽しく走り終えたかった。タイムは全く狙えないが、東京の街を、楽しみながら、走り抜けたい。
となると、やっぱり、今の僕にはスタミナが足りない…と思っていたのだ。
座骨神経痛の発症に伴い、長い距離を走れない身体になっていたため、昨秋の大阪マラソン以降、ロングランは皆無。
鍼の効果で光明が出てきて、30km走でもしようと思っていた矢先に転倒…ロングランどころか、丸々1週間、全く走ることができなくなってしまった。
そんな状態でフルマラソンに臨むのは、とてもリスキーだと思っていた。
だから、整形外科の先生から「ランOK」の許可が出たとき、僕は心に決めていた。
この3連休で、せめてフル距離を走っておこう。
…と、思ったのだ。
スピードは出せないので、単にだらだら走るだけ。でも、それでいい。
今回、僕にとっての目的は、「長距離を走れる身体に戻すための」スタミナ補給ランだったからである。
翌週末だと、レース1週間前になってしまうから、ロングランは、身体にとってむしろマイナス。
となれば、この連休が最後のチャンスだった。
もちろん、身体と相談しながら行う必要があるから、僕は慎重に作戦をたてていた。
復活初日は、近所で、月と火星に癒やされながらの10kmラン。
2日目は、皇居3周&東京駅ゴールの15kmラン。
初日も2日目も、思ったよりきつくなくて、当初の想定より長く走れたのが嬉しい誤算だった。
フル距離まで、あと17.195km。これならば、十分達成できる。
ということで、3日目の夜明け前。
僕は、ここに佇んでいた。
荒川河川敷、だ。
この日の天気は快晴。僕は、天空の情景を堪能しながら走りたかったので、そう考えると、「ここしかない」という結論だった。
この時間帯は氷点下で、カメラを取り出してシャッターを切るだけでも指が痺れた。
現状、左手がまともに使えない状態なので、何度もカメラを落としそうになってしまったほど。
ここで落下させてしまったら、泣くに泣けない(というか、笑い話の域w)なので、僕は、震えながらカメラを握り、撮影。
何も、こんな時間から走らなくても…という気が一瞬よぎった。
しかし、僕はやっぱり、この情景を撮影したかったのである。
月と土星のコラボレーション。
土星は、肉眼だとなかなか探しにくい惑星なので、月に寄り添う、このタイミングは見逃せなかった。
月は、有明月。
月齢25日目となり、2日前の下弦の月から、さらに大きく欠けていた。
満月以降、毎日、夜明け前に、変貌する姿を見せてくれる月。
僕は、そんな月が大好きだから、この期間の夜明け前ランがやめられない。
ましてや今回、土星もコラボレーションしてくれているのだ。
となれば、走るしかないではないか。
僕は、そんな月と土星に見惚れながら、荒川沿いを下った。
江北橋下。
河川敷ランにおける、僕の定点撮影地だ。スカイツリーの上空に浮かぶ、月と土星。いやはや素晴らしい。
それからしばらく、下流に向かって走り続けていくと…。
空が赤く染まってきた。美しい朝焼けの情景だ。
この「夜から朝に変わる景色の変化」を楽しめるのも、夜明け前ランの大きな魅力。
それを堪能する舞台として、荒川河川敷はまさに絶好だと思う。
この辺りで、走り始めてから10kmになったため、僕は、上流へ折り返す。
明るくなってきた天空でも、月と土星のコラボは続いていた。
ただ、この時間帯がギリギリ。
次第に、太陽の存在感(陽光)が勢いを増してきて、天空にある星たちをかき消してしまう。
この日も、ほどなくすると、土星→月の順に見えなくなってしまった。
再び、江北橋下。
つい1時間前、月をバックにして、自らも光を放っていたスカイツリーが、一転、朝焼けに照らされながら、静かに佇んでいた。
それからしばらく走っていくと…。
太陽がぐんぐん登ってきた。
荒川河川敷ラン、終了!だ。
終わってみれば20kmラン。
赤羽駅から河川敷までの往復2kmは、調整ジョグとして差し引くとしても18km。
この日のラン目標は17.195km(=連休累計42.195km)だったので、
なんとか目標達成することができた。嬉しい。
元気だった時は、1日でフル距離を走ることもたびたびあったし、2日連続30kmランなどということも頻繁に行っていた。
そう考えると実に心許ないが、現状の僕ではこれが精一杯だし、やれるだけのことはやった、と、思う。
実に久しぶりの3日連続ラン、そして、合計フル距離ラン。
その割には、身体も座骨も、それほど疲れていないように感じた。
ただ、油断は禁物。
のんびりランとは言え、病み上がりの(いや、まだ上がっていない)身体にとっては、「見えない疲れ」を発生させてしまっている可能性があるからだ。
そんなダメージがあるといけないので、僕は、連休最終日の午後、次の作戦へとりかかることにした。