看板に書かれた電話番号に、歴史を感じる。
その市内局番が3桁だからだ。
1991年以降、東京では、市内局番が4桁化されている*1ため、それ以前の創業であることを物語っている。
実際の創業は1975年(昭和50年)であり、今年で創業45周年。まさに昭和の町中華と言える店だ。
店の名は、「ターキー」。
その由来は、店主が中学時代に惚れ込んだという新宿のラーメン店、「七面鳥」の英語名だ。
今はもう、新宿に「七面鳥」という店はないが…。
高円寺の「七面鳥」が、そこから暖簾分けした店であるようだ。
僕は、つい最近行って感動したばかり。
そう。
僕は、この「七面鳥」に行ったことで、遠い親戚と言える(?)「ターキー」にも行かなければと思ったのである。
「ターキー」は、東京・雑司ヶ谷霊園の小道を出て、すぐのところに存在している。
僕は、かつて何度かここを走ったことがあるのだけれど、当時は、この先に「ターキー」があるということを知らなかった。
夏目漱石も眠っている、静謐な霊園のすぐ脇。閑静な住宅街の中に、ぽつんと、この店は存在していた。
以前、この辺りは商店街だったようなのだけれど、今、残っている商店は、「ターキー」だけ。
まさに、ここだけが昭和で止まってしまったかのようだ。
そんなお店だから、期待せずにはいられない。
入店。
内観も、昭和の香りを残した趣。
店内は、小さなテーブル席が3つと、狭いカウンターのみ。10人も入れば、いっぱいになってしまうだろう。
でも、それがいい。
店主ひとりで運営しているため、グラスをとったり、水を入れたりするのもセルフサービス。
僕は、もちろん、水じゃなくて…。
ビールを注文。
そのアテに頼んだメンマが、とても柔らかくて、優しい味。実に美味しかった。
メニューを眺めながら、少しだけ考える。
「ギョーザ」がトップに書かれているのが嬉しい。もちろんこれは注文するから、あとは、もう1品。
大好きなニラ玉がメニューにあったので、それもあわせて注文した。
まずは、ニラ玉炒めが先に出てくるのだろうから、それで中華気分を高めつつ、餃ビーを堪能しよう、という思惑だ。
ということで、僕がこの2品を注文すると、店主は、やおら餃子を包み始めた。
包む餃子の数は、僕が注文した1人前のみ。
作り置きなど一切せず、注文が入るたびに包んで、そして焼いてくれるようだ。
まさに手作り、手包みたての餃子。期待せずにはいられない。
いざ、僕の餃子を焼き始めてからも、店主は、ニラ玉炒めを作る気配はまるでなかった。
厨房の中で、ニラを切る音らしきものはしていたのに、なぜ、その後、炒めてくれないんだろう?もしかして、忘れられているんだろうか?
などと思っているうちに…。
焼餃子がやってきた!
実に魅惑的な焼き色で、惚れ惚れする。
包みたての皮で焼かれていることもあり、いかにも皮が美味しそうだ。
iPhone SEと並べて見ると、こんな感じ。
それほど大ぶりではない、ごく一般的な焼餃子サイズといった趣だ。
囓ってみる。
ニンニク!
と思わず叫びたくなるぐらい、ニンニクが主張している。そしてそれが本当に美味しい。
それもその筈、どうやら、青森産のニンニクを使っているようなのだ。
包みたての皮は、インパクトのある具を絶妙に受け止めており、そのバランスにも唸った。
いやはや、これはビールが進みそうな餃子だ。
昨今、ニンニクを使わなかったり、控えめにしている店が多い中、この主張は素晴らしい。
昭和の時代、餃子と言えば、ニンニクたっぷりなのが当たり前だったから、僕は、なんだか懐かしさを感じた。
店内の雰囲気も含め、昭和へタイムトリップしているような気分になる。
僕がそんなノスタルジックな気分に浸っていると、ようやくニラ玉が登場した。
…そして、僕は一瞬驚いた。
つゆの中にたっぷり浸かった、ニラ玉とじ、がでてきたからだ。
僕はここで初めて大きな間違いに気がついた。
あらためて店内のメニューを眺めてみると、単に「ニラ玉」と書かれているだけで、「ニラ玉炒め」とは書いていない。
僕が勝手に誤解していただけだ。
これはこれで、好きな料理ではあるけれど、甘めのつゆで煮込まれているため、餃子やビールのお供としては不適。
そう言えば…。
ニラ玉を注文した時、店主が、「ご飯はつきませんが、良いですか?」と聞いたのは、そういう意味だったのか!
いやはや、気がつくのが遅すぎる。バカ過ぎだ。
もちろん、別途ライスを注文することはできたが、僕は、《餃ビーとご飯は両立しない》を信条としているため、グッと我慢。
ただ、これはやっぱり、ニラ玉丼で食べるべき*2料理だったなぁ…。
と、まぁ、最後にはちょっとオチがついてしまったが、それは僕の責任であって、店の魅力は揺るがない。
今度は、是非ナイトランのついでに寄って、存分に、ノスタルジックな餃ビーを味わおうと思っている。