僕がまだ、子供だった頃からずっと…。
もう、40年来、敬愛し続けてきた筒井康隆先生の最新掌編集が発売された。
「カーテンコール」だ。
単行本に巻かれたオビには、衝撃的な文言が書かれている。
「これが最後の作品集になるだろう。」
とのこと。
「カーテンコール」は、この作品集に収録されている掌編名でもあるが、それがタイトルになったのは、別の意味も含んでいる筈だ。
カーテンコールとは、舞台や演劇などの終幕後に、観客の拍手などに応えて行う、いわば《最後の挨拶》。
だから、このタイトルは即ち、筒井先生の、今の思いを表しているようにも見える。
「カーテンコール」の発売に伴って行われた最新インタビューでも、筒井先生は『もう二度と小説を書くことはない。』と仰っている。
しかしその内容を読み進めてみると、まだ、希望が残っているような気がした。
筒井先生は、年齢を重ねたから「書けない」というわけではなく、単に「書かない」と仰っているだけだからだ。
今後、先生の気分が変わって、もしも裏切ってくださるのならば大歓迎。
筒井先生は、これまで40年以上、さまざまな感動とサプライズをもたらしてくださった。
例えばいったん幕が閉じたとしても、再び新たな幕を開いてくださることもありえると思っている。
そう考えると…。
今月号の新潮社PR誌「波」の表紙も意味深だ。
「カーテンコール」の表紙をベースにした装画に、筒井先生が直筆メッセージを寄せられている。
プレイバックはカーテンコールのあとで
掌編集「カーテンコール」には「プレイバック」という作品も収録されている。
この作品は、「時をかける少女」や「パプリカ」など、筒井作品の主人公たちが、病床の作者を訪れるという設定の作品で、雑誌掲載当初から大きな話題になった。
だから、筒井先生のメッセージも、この作品のことを指しているのかと思えるのだが、僕は、もうひとつの意味も含まれていると考えた。
カーテンコール(最後の挨拶)のあと、プレイバック(再生)があるのだ、と。
もちろんこれは、僕の勝手な邪推に過ぎないのだけれど、想像するのは自由だろう。
僕は一生涯ツツイストだし、筒井先生と同時代に生きられたことが、僕が今、生きている証でもある。
ならばまた、あっと驚くタイミングで、プレイバックがあっても全く不思議じゃないし、僕はそれを大いに期待している。
今週のお題「最近読んでるもの」