昨日は、パリオリンピックマラソンの出場権がかかる重要なレース、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が開催された。
4年前のレースを思い出す。
僕は、その日の早朝、スタート地点から神保町までの直前下見レポートランをしたんだよなぁ。
あの頃の僕は元気だったw
それから1回帰宅して、再度神保町へ。
下見ランで確認したスポットで、走り抜ける選手たちを写真に収めた。
ついこの間のことのように思えるのに、もう4年も経ってしまったのか。
月日の経つのが早すぎる。僕も歳をとるわけだ…。
4年前、前半でドラマを作ったのは、設楽裕太選手だった。
超ハイペースで駆け抜けて、最後は失速してしまったけれど、その走りは強く印象に残った。
そして今回。
爽やかな秋晴れだった前回とはうってかわって、土砂降りの雨になった。
こういった天候の場合、ランナーたちは、前半無理をせず、様子見のスローペースになるのが常。
特に今回は、パリオリンピックマラソンへの出走権がかかったレースだから、尚更。
しかし…その「甘い」展開を許さなかった果敢なランナーがいた。
川内優輝選手(以下呼称略)だ。
スタート直後から飛び出して、25kmを過ぎても大独走。
もともと「悪天候に強い」タイプではあるけれど、それにしても、この思い切りの良さはハンパじゃない。
レース前のインタビューで、川内はこう語っていた。
私に負けているようでは日本のマラソンは暗黒期に入ると思うが、自分自身全力で頑張る。
その言葉通り、全力の、魂の、大独走だった。
第2集団の選手たちは、川内を気にしつつも、自分が動けば目標になるため、なかなか動けない。
だから、川内が「落ちてくる」のを待っていたのだろう。
35km過ぎ。
後続集団がまとめてペースを上げてきたことにより、川内は、遂に捕まった。
こういった展開の場合、後続集団に飲み込まれてしまうと、そのままずるずると下がってしまうのが普通。
肉体的にも精神的にも、折れてしまう可能性が高いからだ。
実際、4年前のMGCで独走した設楽裕太は、最終14位に沈んでしまった。
しかし、川内優輝は違った。
第2集団に追いつかれても、ペースを落とさず食らいつき、粘りきったのだ。
結果は4位に終わってしまったけれど、トップの小山直城選手とは21秒差。3位の大迫傑とは7秒差。
最後の最後まで、パリオリンピックマラソンの出走権争いに絡む大激走。
僕は、本当に胸が熱くなってしまった。
レース後のコメントも、最高に格好いい。
他の選手は怖かったと思う。半分ぐらいは舐めていたと思う。落ちてくるだろうと。前回の設楽選手がそうだったので。
なめんなよ、と。
私は逃げて優勝したレースもある。勇気を持つのが選手権大会なので、経験が生きた。すごく楽しかった。漫画の主人公になった気持ちで先頭に走っていた。
これが、世界を股にかけて走りまくる川内優輝の真骨頂。
フルマラソン経験129回の底力なのだ。
5年前。
シカゴマラソン後の空港ラウンジで、僕は、川内選手に会い、貴重な言葉をいただいたことを思い出す。
いかにも川内選手らしい、素敵な言葉だと思った。(中略)
《現状打破》のために、練習を重ね、しっかりと結果を出す。やっぱり、川内選手は最高だ。
今、僕は骨折療養中で、残念ながら走ることができない。
でも、諦めずに頑張れば、いつかはこの「現状」を「打破」できる時が来る。
昨日の川内選手の走りは、本当に大きな力をもらった。
焦らず、でも、着実に現状を打破して回復を目指したい。