驚愕の連載が始まった。
僕が、40年来こよなく愛し続けてきた筒井康隆先生の「自伝」だ。
それは、昨日発売になった「文學界」で、誌面の巻頭を飾っている。
僕は、胸を躍らせて読み始めたが、いやはやもう、その書き出しからたまらない。
作家が自伝を書く限り、他人の言ったことの引用は禁じられるべきだ。
そう思うからこの自伝は極力、自分が見聞きし体験したことに限っている。
世間に溢れる自伝の中には、悲しいかな、他人の言った発言などから構成されているものもある。
しかし筒井康隆先生は、それは禁じられるべきだと綴り、この《自伝》を開始させた。
圧倒的な記憶力、表現力、構成力を兼ね備えた筒井康隆先生だからこそ言える、「究極の自伝」宣言だ。
そして、その宣言は忠実に実践されている。
今回は《幼年少期》編となるが、「最初の記憶」を綴ったシーンから始まり、実に細かい描写が続く。
幼少期の話だというのに、どうしてこんなに細かいことまで鮮明に描き出せるのだろう。
僕は、瞠目しながら読み続け感嘆し続けていたが、その一方で、「こんな思いを、以前にも体験したことがあるなぁ…」という気分になり、すぐに思い出した。
そう。
1992年(今から32年前!)に、奇しくも「文學界」誌で発表された短編「十五歳までの名詞による自叙伝」だ。
これは、筒井康隆先生における、0歳から15歳までの歴史を、名詞だけ(それもほぼ人物名だけ*1。)で綴った衝撃作品だった。
この作品は、「最後の伝令」という短編集に収録されているので、今回、久しぶりに読み返してみて、あらためて驚愕した。
ひたすら人物名の羅列が続くだけなのに、読み進めていくと、その人物名に伴う物語が、脳裏に浮かび上がってくる。
僕はこれが、圧倒的な記憶力と構想力に基づいた緻密な短編であることを、あらためて思い知った。
今回、「文學界」誌で連載が開始された「自伝」は、いわば、この短編の《種明かし》とも言えるものになっている。
この「自伝」を読んだ後、「十五歳までの名詞による自叙伝」を読むと、「そうか、こういうことだったのか」と思うところもあった。
2作品を並行しながら読み進めていくと、さらに楽しめる仕掛け。最高だ。
今回の「自伝」内容が素晴らしいのは、それだけではない。
これまでのエッセイなどで断片的に綴られてきたことや、過去作品のテーマになっていたことも次々登場。
いわばこれは、作家筒井康隆人生の、まさに集大成記録と言えるものなのである。
今回の自伝では、(短編では発表されなかった)十六歳以降の内容も綴られていく筈。
作家デビューして以降の内容は興味津々で、作品の誕生経緯や、「腹立半分日記」などとの読み比べも楽しめるに違いない。
ツツイストならば、絶対に読み逃せない、必読の「自伝」連載だ。
*1:ごく一部、動物や創作物のキャラクターなども含まれている。