「猿の惑星」は、僕の大好きなシリーズだ。
特に、今や伝説と言える第1話と、新シリーズ3部作には惚れこんで、痺れまくった。
今回は、『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』から7年ぶりで、完全な新章と謳われている。
「聖戦記」の結末から300年後という設定になっており、エイプ(類人猿)が地球を支配。
人類は、知性と言葉を失い、衰退してしまったという設定らしい。
おぉ、これはやっぱり面白そうだぞ。
僕は大いに期待して、劇場に赴いた。
満を持した大作の公開ということもあり、劇場は、さながら《猿の惑星祭り》という様相を呈していた。
僕は、こういった展示に気分を高めつつ、予約済のスクリーンに向かった。
鑑賞したスクリーンは、もちろんIMAXだ。
前3部作のシリーズから、素晴らしい映像美が堪能できる映画であることは明白なので、IMAXを選んだのは必然だった。
IMAXでの鑑賞者には、こんな特典(ミニポスター)プレゼントもあった。ちょっと感激。
僕は、劇場での映画(特に洋画)鑑賞を趣味としているが、最近はすっかりご無沙汰。
今年に入ってからというもの、椅子に長時間座り続けていると臀部が痛むため、椅子から動けない状態は辛い。
ということで、劇場での映画鑑賞を敬遠していたのである。
ただ、「猿の惑星」シリーズならば、その面白さ故に、痛みを忘れさせてくれるだろう…と思いながら鑑賞に臨んだ。
その予想は、半分当たり、半分外れた。
僕が辛かったのは、前半~中盤。
圧倒的な映像美に痺れて、食い入るように画面を見つめ続けていたが、とにかく物語がなかなか進まず、退屈感さえ覚えたのだ。
僕は、だんだん座骨部分が痛くなり、終始、お尻の位置を変えながら見ていた。
最初のシーンは、ワシを操るイーグル族エイプの集落が舞台。
そこで、主人公ノアたちが、とある儀式に必要なワシの卵を取りに行くところから始まる。
僕は、卵の必要な理由が、今ひとつ理解できず、そもそも、こんなシーンは必要だったのか?とさえ思った。*1
それほど大事な(筈の)卵なのに、胸に抱えているだけなので、あっけなく割られてしまうし、結局儀式も行われないまま、物語が進んだので、尚更。
今回の作品で重要な鍵を握る存在の人類、メイ(ノヴァ)の心理や行動も、今ひとつ理解しにくくて、モヤモヤは続いた。
中盤以降。
猿の王国(キングダム)の主である、プロキシマス・シーザーが出てきてからは、物語は大きく展開し、スピード感も上がってくる。
しかし…。
出てくるのが遅い上、キングダムに関する説明が不足しているように思えた。
後半は怒濤の展開で、僕はノアに大きく感情移入しながら、映画に没入。自然と臀部の痛みも治まった。(ような気がした。)
猿とは思えない表情のリアルさには痺れて、ワシを操るようになった姿には、感動さえ覚えたほどだ。
ただ、ノアに大きく感情移入してしまった分、人類の生き残りであるメイには、不信感が募った。
ノアたちを利用するだけして、あんな展開はないだろ!と怒りさえ感じてしまったのだ。
クライマックス後、メイが密かにとった行動にも唖然。
人類が言葉と知性を失って、300年も経っているという設定なのに、あんなことがあり得るのか?
何かの間違いなんじゃないか?
ちょっと納得のいかない展開だった。
あまりの急展開に、僕は臀部の痛みを忘れてのめり込んでしまったが、精神的にはモヤモヤが残った。
上映時間は2時間25分。
今時の大作映画としては、長すぎるわけじゃない。
ただ、キングダムに辿り着くまでの前半が、どうにも間延びしているような気がして、無駄な長尺感が否めなかった。
ひとつはっきりしていることは、この作品には、絶対に続編があるということ。
いや。
そもそもこれは「続編ありき」の作品なのだ。
今回僕が当惑した件についても、これが次回作以降の《伏線》だと考えれば納得がいく。
「猿の惑星 キングダム」は、今後延々と続く「新シリーズの序章」なのだろう、きっと。
まぁ、とにかく映像美は素晴らしいし、エイプたちの演技も良かったし、迫力も感じたのだけれど、この作品単体で考えると、「物語としてはどうなんだ?」という思いが募る。
とりあえず、続編を見なければ、モヤモヤは晴れそうにないので、必ず見に行く予定だけれど…。
*1:ノアを巡るエイプたちの繋がりを示す意味で、必要だったのだろうとは思うけれど…。