餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?

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東日本大震災から11年…厄災とマラソン大会について考えてみた。

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今年もまた、3月11日がやってきた。

僕にとって、決して忘れることができない日付だ。

いや、もちろん僕だけじゃない。

日本に住んでいる人、特に東日本の住民にとって、この日はいつまでも特別な日であり続けるだろう。

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気象庁|平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日。今から11年前。あの忌まわしき東日本大震災が発生したからである。

この厄災については、小学校の教科書にも掲載されているから、今後もきっと語り継がれていく筈だ。

僕は2010年の秋に走り始め、2011年の1月、勝田全国マラソンで、初のフルマラソンを経験する。

その時のタイムが4時間12分だったので、「次のレースでは絶対にサブ4*1をとるぞ!」と決意したことを思い出す。

勝田全国マラソンは、素晴らしい大会だったのだけれど、4時間以内にゴールできないランナーは、交通規制の解除により、歩道を走らされるという屈辱があったので、尚更。

だから僕は、一刻も早くサブ4ランナーになりたいと思って走り込み、春のマラソン大会に次々申し込んだ。

しかし…。

東日本大震災を境に、その状況は一変する。

地震とそれに伴う原発の影響により、僕が申し込んでいたマラソン大会は、軒並み中止になってしまったからだ。

その後、マラソン大会が通常開催されるようになるまでは、しばらく時間がかかった。

僕のフルマラソン2戦目*2となったレースは、同年8月。

当時は昼の12時スタートで、レース中の気温が30℃にも達していた《灼熱の》北海道マラソンだった。

僕は、暑さに苦しみながら、やっとフルマラソンを走れる喜びを噛みしめて、何とかギリギリサブ4でフィニッシュしたことを思い出す。

あの頃の僕には、まだ根性があったんだなぁw

あれから11年。

日本列島は別の意味での《厄災》に襲われている。言うまでもなくコロナ禍だ。

2年前の東京マラソン(一般部門)中止を境に、日本じゅうでのマラソン大会が中止に追い込まれている。

それは、ランナーならば誰でも、周知の事実だろう。

大震災からの復興を祈念してスタートした、東北・みやぎ復興マラソンまで中止に追い込まれてしまったのだから、洒落にならない。

今もまだ日本各地では、まん延防止措置重点措置がとられており、それに伴い、中止となる大会が続出している。

もう2年近くこんなことが続いているので、正直、ランナーとしてのモチベーションは下がるばかりだ。

しかし先日、徹底した感染防止対策の下で、東京マラソンの一般部門が、3年ぶりに復活した。

たとえまん防期間内であっても、万全な対策さえとれば、マラソン大会を開催できる!という、ひとつの指標になったのではあるまいか。

ランナー以外の人にとっては、異論もあるだろうけれど、世界的には《withコロナ》の傾向が強まっている。

東京マラソンの復活を契機に、マラソン大会のある日常が戻ってくることを願いたい。

*1:フルマラソンを4時間以内に完走すること。

*2:6月の「洞爺湖マラソン」に出場しているのだけれど、レース当日崖崩れのアクシデントが発生。フルマラソンが20kmレースに変わってしまった。


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