餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?

ランと餃子とデジタルガジェット。ときどき、映画や雑誌の話。言いたいことを言い捨てるブログ。

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RUN FOR FUN!

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僕は、ランニングを始めてから、今年で10年になる。

2010年の9月。

ふとしたきっかけで、皇居外周を走り始め…その2ヶ月後、ハーフマラソンに出場した。

富士スピードウェイのコースを走る、「富士マラソンフェスタ」だ。

今から思えば、初めての大会なのに、《マニアック》なものを選んだなぁと思うけれど、素晴らしい経験をすることができ、僕は、ますますランにのめりこんだ。

翌年1月には、恐る恐るながら、フルマラソンにもチャレンジ。

勝田の風になった。

そのタイムが4時間12分だったことから、「今年は、絶対サブ4ランナーになるんだ!」と決意。春以降のレースに登録しまくったことを思い出す。

ところが…。

2011年の3月、「あの」東日本大震災が発生。申し込んでいた様々なレースが中止になってしまった。

僕は大きなショックを受けたが、正直、レースどころか、街を走る気分にさえなれなかった。

東京に住む僕にとって、あの大地震が与えた影響は、公私ともに半端じゃなかったからだ。

しかし気がつけば、いつしか僕は、ランニングを再開するようになっていた。

まだまだ余震が続いている時期で、精神的にも落ち着かなったけれど、走らずにはいられなくなった。

やっぱり僕は、走ることが好きだったから。

さまざまな大会が中止になり、当面の目標を失っても、でも。

やっぱり僕は走りたかったのだ。

だから、その年の夏、北海道マラソンに出走し、完走できた時の喜びはひとしおだった。

当時の北海道マラソンは、昼の12時出走ということもあり、スタート時点の気温は、28.9℃もあった。

まさに灼熱地獄だったけれど、僕は、何とか駆け抜けることができ、しかも、大目標だったサブ4のおまけまでついてきた。

僕がそれを達成できたのは、震災後の落ち込んだ気分を、ランニングで癒やし続けてきた結果だ。

僕は、レースのために走っていたわけじゃない。自分が楽しむために走り続けてきた。

久しぶりのレースは、本当に苦しくて、満身創痍だったけれど、でも、たった4時間の辛抱。それで得た幸せは、一生忘れられない、僕の財産になった。

その後、僕は、タイムを追い求めるようになり、走る目的は、「レースでのサブ3.5達成」に変わった。

当時の僕は、まだ40代。

決して若くはないが、でも、今よりは、まだ身体も言うことを聞いてくれたので、激しいトレーニングにも耐えられた。

ということで、僕は、苦しくつらい練習を重ね…。

1年後の大田原マラソンで、念願だった、サブ3.5を達成することができた。

ここから数年、僕は、数々のレースを目標にして、さらに(少しだけ)タイムも伸ばすことができるようになった。

しかし…。

2年半前の座骨神経痛発症以来、僕のランニング人生は下り坂に。

まともに走ることもままらなくなり、サブ3.5なんてもっての他、サブ4さえも達成できなくなってしまい、あがき続けることになる。

その後、昨春のかすみがうらマラソンで、久しぶりにサブ4を達成することができ、ようやく復調気配かと思った。

僕は、次なる目標レースに向けて、少しでもタイムを伸ばそう(戻そう)と、賢明に努力したが、まさかの暗転。

座骨神経痛の再発、台風、そして新型コロナウイルスの影響により、僕は、4大会連続(北海道/いわて北上/静岡/板橋)で、出走ができなくなってしまった。

いやはや、流石にこれは落ち込む。

新型コロナウイルスの現況を考えると、次にいつ、レースに出走できるかなんて、まるで見通しがつかない。

目標を失った僕は、心にぽっかり穴が空いた気分だった。

そんな僕を救ってくれたのは…やっぱり北海道マラソンだった。

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2012年大会の参加賞。超お気に入りのTシャツだ。

そこに書かれている文字が、僕に《初心》を思い起こさせてくれた。

RUN FOR FUN.

そう。そうなんだよ。僕はようやく我に返った。

目標があろうと、なかろうと、関係ない。楽しむために走ればいいんだ。

2011年の時だってそうだったじゃないか。

初心に帰って、走ることそのものを楽しもう。そう思ったら、気分が急に楽になった。

そもそも僕は、ガチのランナーじゃない。ただの餃子ランナーなのだから。


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