餃子の魅力は、その「皮」と「餡」が織りなすハーモニーだと思っている。
ひとくちに餃子と言っても、いろいろな種類がある。肉ベースの餃子もあれば、野菜ベースの餃子もある。エビ餃子だって、ニラ玉餃子*1だって立派な餃子だ。
新橋の名店「一味玲玲」のように、多彩な具材の餃子ラインナップを持つ店はいくらでもある。
僕がこよなく愛する蔓餃苑のフルコースでも、キーマカリー餃子や海鮮ゼナキング餃子、そして、究極のデザート餃子と言えるモツアン餃子もある。
餃子の懐は、かくも広いのだ。
しかし、そういった懐の広い餃子を馬鹿にしたような食べ物が、世の中には存在する。「手羽餃子」とかいう代物が。
いったいアレを命名したのは誰なのだろう。僕に言わせれば、あんなものは餃子でもなんでもない。単なる「豚挽肉、ニンニク、キャベツなどの具が詰め込まれた手羽先」じやないか。
あれを餃子と呼べるなら、手羽春巻や手羽コロッケだって成りたたないとおかしい。例えばポテトコロッケの具が手羽先の中に入っていたら、手羽コロッケになるのか?ならない筈だ。
ありとあらゆる面において、手羽餃子を餃子と呼ぶ論理は破綻している。そもそも主食、完全食となりうる餃子を、手羽先のおまけのように扱うな!断じて納得できない。
世間一般が思い描く「餃子の具」から派生した食べ物は、餃子まんや餃子ドッグなどまだまだある。
ただ、これらは、小麦粉繋がりがあるせいか、手羽餃子ほど嫌悪感はない。しかし手羽餃子だけはどうしても納得いかないんだよなぁ。
*1:日本ではあまり見かけないけれど、中国ではごく一般的な餃子の具。