僕は、ニューヨークシティマラソンを過去2回走っている。
最初は2011年。
僕はマラソンを始めてまだ2年目だったし、東日本大震災の影響により、国内で出走予定だったレースは、軒並み中止に追い込まれてしまった。
そんな中での遠征レースだったので、とても不安だったのだけれど、なんとかサブ4で完走でき、胸が熱くなったことを思い出す。
それから11年後、2022年。
僕は、再び感動の舞台に立つことができた。
加齢と腰痛に苦しめられ、アップアップの状態だったけれど、ニューヨークの素晴らしい風景と、溢れんばかりの大声援に支えられ、なんとか完走。
この時も最高に嬉しかった。
僕にとって、ニューヨークは、ランナーになる前からこよなく愛していた、特別な街。
そんな街を思う存分走り抜けることができるニューヨークシティマラソンは、何度でも何度でも走りたい、特別なレースなのだ。
しかし、今の僕にはニューヨークシティマラソンを走る余裕はない。
ニューヨークシティマラソンは東京マラソン以上に抽選が厳しく、ツアー枠で行こうとすれば、100万円近くかかってしまう可能性もあるからだ。
毎年抽選枠に申し込んではみるものの、落選続き。
今年もしっかり外れたことは、3月の記事で書いたとおりだ。
だからもう、ニューヨークシティマラソンの出走は、思い出の中で楽しむしかないのかなぁ…と思っていた。
そんな折、NYCマラソンの事務局であるNYRRから、こんなメールが届いた。
《バーチャル》ニューヨークシティマラソンの告知メールだ。
このレースは、今年の10月24日から11月1日までの間、どこかの1日を使って、1回で42.195kmを走りきる必要がある。
日本のバーチャルレースのように、期間内の合計走行距離でフル距離を超えれば良いわけではないので、実に過酷だ。
距離の測定は、Stravaアプリ(Garminとの連携も可)を使って行うため、ごまかしのきかない一発勝負となる。
今の僕は、ひとりで走る場合、精神的にも肉体的にも20kmが限界だから、走りきれるわけがない。
ただこれが、単なるバーチャルニューヨークシティマラソンのお知らせではないことに気がつき、ちょっと心がぐらついた。
これは、完走すれば来年(2027年)のニューヨークシティマラソン出走権を得られるバーチャルマラソンだとわかったからである。
バーチャルレース自体は抽選での申し込みとなるが、それでもこれは大きな魅力だ。
実際、僕が2022年にニューヨークシティマラソンへ出走できたのは、その前年の《バーチャル》ニューヨークシティマラソンを完走して出走権を得たからだった。
夢よもう一度。
とも思ったが、やっぱり僕は諦めることに決めた。
やっぱり、どう考えても、今の僕がひとりでフルマラソンを完走できるイメージが浮かばなかったからだ。
このレースは、来年(2027年)のニューヨークシティマラソン出走権を確実に得ることができると書いたが、それは、あくまでレースの《完走》が条件。
せっかく出走しても、完走しなければ211ドル(約3万4千円!)を払って、単にバーチャルレースを走るだけ、ということになってしまう。意味がない。
ということで僕はいったんこのレースのことを忘れたのだけれど、なんとなくその開催期間が頭に残って離れなかった。
今年の10月24日から11月1日までの間。
今年の10月24日から11月1日までの間…?
そのあたりで、僕はレースに出る予定ではなかったか。
そう思って調べてみると…。
水戸黄門漫遊マラソンの出走日程と重なっている!
僕は過去2017年、2023年と2回にわたってDNSになっており、今回はそのリベンジをかけた大事な大会。
そもそも僕は年に1~2回しかフルマラソンを走らないのに(去年はゼロだし)、それがバーチャルニューヨークシティマラソンの日程と重なったのは奇跡的だ。
水戸黄門漫遊マラソンのスタート号砲とともに、Garminで計測を始めれば、完走後には、来年のニューヨークシティマラソン出走権を得ることができる。
ひとりではフルマラソンを走りきれなくても、レースならばなんとか耐えられる、筈。
水戸黄門漫遊マラソン完走のモチベーションも上がって、一石二鳥すぎる。
これはもう、バーチャルレースに申し込むことが僕の運命になっているのだ。きっと。
ということで、僕は一転、《バーチャル》ニューヨークシティマラソンへのエントリーを決めた。
2021年にこのレースに申し込んだ時は「先着」だったのだけれど、今度は「抽選」なので、当たるとは限らない。
ニューヨークシティマラソンの人気を考えれば、参加費に加えて211ドル払ってでも出走権が欲しいという人は多いだろうから、激戦は必至。
ただ僕は、今回に限ってはなんとなく当たるような気がしている。
航空券代やホテル代がバカ高い上に、超円安の今、遠征してかかる費用を考えるとめまいがするけれど、もしも当選したら、それもきっと「運命」なのだと考えたい。



