たまには、はてなブログの《お題》に乗ってみよう。
今週のお題「やったことがあるアルバイト」だ。
僕がアルバイトを経験したのは、今から30年以上前。
クラブ活動(大学の落研)からのツテや、「日刊アルバイトニュース」誌(のちの「an」誌。)で見つけたバイトで、さまざまな職種を経験した。
80年代の話だから、今とはまるで事情が異なるとは思うけれど、じいさんの昔話として、笑って受け止めて欲しい。
セブン-イレブンの夜間バイト
学生時代における、僕のメインアルバイト。
週2回の勤務で、たぶん2年ぐらいは務めた筈だ。
今みたいに、セルフレジなんてものはないので、何から何まで手動。
当時は、店内でサーティーワンみたいな形でアイスを売っていたり、スラーピーというシャーベットドリンクを販売していた。
僕はアイスを盛るのが苦手で、結構苦労したことを思い出す。
人と話すことは好きなので、接客は苦ではなく、来店客たちを観察するのも結構楽しかった。
店頭販売も結構やった。
クリスマスのシーズンには、サンタクロースの扮装までしてケーキを売っていたんだよなぁ。
僕が務めていた店は、本部直営ではなく、オーナー店だったこともあり、家族ぐるみで優しくしてもらった。
期限切れのお弁当をもらったり(今はダメなのかな?)したことも懐かしい。
都内デパートでの催事ピザ販売員
僕が所属していた落研に、たまに依頼が来たバイト。
催事での出店なので、都内あちこちのデパートに出かける。
そこで、冷蔵のピザ(5枚で1,000円ぐらいだったかな)を売るだけの、単純なお仕事だ。
「ピザ、いかがですかぁ。」
などと叫びながら客を呼び込み、販売する。
とにかく大きな声を出すことがポイントで、落研メンバーには向いたバイトと言えた。
僕は落研メンバーの中でも声が大きい方だったから、このバイトでの販売実績が良く、雇用主から褒められたこともある。
歩合制じゃないので、何枚売ろうが僕のバイト料は変わらなかったが、売れないよりは売れた方が気分がいい。
だから、個人的な充実感は結構高かった。
ただ、今から考えると、周りのショップ店員からは疎ましがられていたかもしれないなぁ…。
都内デパートのハム売場販売員
これは催事ではなく、「常設」のハム売場。
こちらは、落研の先輩たちから長年引き継がれてきた、伝統あるバイトだ。
ここでは、社員の指示に従って、販売補助やレジ打ち、包装などを担当した。
催事のピザ売りと違って、単に叫んでいればいいというものではない。
総合的な対応力が必要となり、僕は包装が苦手だったので、結構苦労した。
できればあまりやりたくなかったが、部で伝統的に続くバイトだけに、雇用者から強い要望を受けていた。
僕は、下級生の頃、先輩から命令されて、イヤイヤながら何度か経験したことを思い出す。
交通量調査員
当時は、日刊アルバイトニュース誌に頻繁に掲載されていた、人気のバイトだった。
道端に椅子を置いて、車や人の数をカウンターで数えるだけの仕事だ。
今でもたまーに見かけることがあるので、ご存じの方もいるだろう。
昔はそれを、各所で頻繁に行っていたのだ。
このバイトは、基本的に1カ所2人の勤務交代制で、「1時間計測して1時間休む」ということになっている。
キツかったのは、働いている時間よりも、むしろ休んでいる時間。
近所にデパートや商店街などあれば、それなりに時間も潰せるが、勤務場所によっては、周りに何もないところもある。
そういったところに配属された時は、1時間を潰すのが地獄。
たとえ喫茶店などがあったとしても、1時間ごとに入店していては、1日のバイト料など吹っ飛んでしまう。
しかも、スマホなどという便利な暇つぶしグッズが存在しない時代なのだ。
時期も重要で、例えば今のような酷暑の時期などは、命の危険さえあるかもしれない。
もちろん、降雨も天敵。
即金で、そこそこのバイト料がもらえるので、悪くない条件ではあるのだけれど、忍耐力の必要なバイトだと思う。
飛び込み営業(レンタル芳香剤)
確かこれも、日刊アルバイトニュースで見つけた仕事だ。
「無料で配るだけの仕事です」みたいなことが書いてあったので、僕は、よく街で見かける《ティッシュ配り》のようなものかと思って申し込んだ。
時給が相場よりもかなり高かったし、歩合給みたいなものもつくようだったので、かなり魅力的だった。
バイト期間は1週間。
ちょうど大学は休講期間で、まとまったバイト料が得られると思い、応募した。
しかしこれは、僕の想像していた業務とはまるで異なるものだった。
トイレ用のスプレー式芳香剤を、バーやスナックなどに、置いてもらう仕事だったのだ。
イメージとしては。こんな商品。
僕らバイトは、与えられた店舗リストの店を巡って、これを店に置いてもらうよう、ひたすら回る。
いわば「飛び込み営業」だ。
バイトにやらせる仕事か?と、今なら思う。
無料で配ると言っても、もちろんそんな甘い話はない。
このタイプの消臭剤は、定期的に内部ボトルの交換が必要となる。
だから、1ヶ月ぐらいすると、社員がその店を訪れて、継続でのレンタル利用(有料)を求める仕組みとなっているのだ。
店側でも、当然そんな仕組みを承知しているため、たとえ無料だと言われても、簡単に置いてくれるわけがない。
しかも、百戦錬磨の「夜の店」オーナー相手に、素人の学生バイトが太刀打ちできるものか。無理に決まっている。
僕は、どの店に言っても、殆ど話を訊いてもらえずに門前払い。
僕の初日取り付け実績は、十数軒を回って《ゼロ》だった。
当初のバイト募集期間は、1週間。
営業に出る前の説明会では、「最初の頃は、なかなか置いてもらえないと思いますが、2日目、3日目と慣れていけば大丈夫です」という話だったのだが、あっけなく、初日でクビ。
話が違うじゃないか!と思った。
しかし、こんな仕事、何日やってもうまくいくと思えなかったし、心が折れるかも知れなかったので、クビで良かったかも知れない。
「共通一次の模範解答」配達人
これは、2回しかやっていないし、かなり記憶が曖昧なのだけれど、とにかく美味しいバイトだった。
とある大手予備校が主催していたアルバイトだ。
僕らの学生時代、年に1回共通一次試験(現在の大学入学共通テストみたいなもの)があった。
その翌日に、全科目の模範解答を、首都圏の高校宛に届ける仕事だ。
いったい何のためにどういう意図でそれが行われていたのか、全く覚えていない(そもそも知らされてもいない可能性がある)けれど、実に「割のいい」バイトだったことを覚えている。
何しろ、単に「学校に模範解答を届ける」だけで、1万円以上の収入が即金で手に入るのだ。当時としては破格で、こんなに美味しいバイトはない。
ただ、その難易度には若干濃淡がある。
模範解答は、その予備校がある代々木の会場で渡されるが、届けに行く学校は首都圏各所。
それが代々木から近い場所の場合は、何校かセットになって、巡回しなければいけない。それぞれが駅から遠かったりすると、ちょっと面倒だ。
一番良いのは、「代々木から圧倒的に遠くて、しかも駅から近い」学校。
当然のことながら、学生側もそれは承知していて、人気の学校は事前にリサーチされている。
どの学校に届けるかは、学校名が読み上げられた後、オークション状態みたいになるため、かなり過激な争奪戦になった。
僕は1年目に参加したとき、そのコツがわからず、都内の5校を回る羽目になったが、2年目は、見事に、都内から往復5時間かかる高校をゲット。
たった1校だけ行けばいいし、駅からも近かったので最高。
しかも、高校に着いた時「こんな遠くまでようこそ」と、お土産までもらえたことを思い出す。
いやぁ、これは本当に美味しいバイトだったなぁ。
まだインターネットなど、この世に存在しなかった時代の話。
今は、学校宛にメール1本送れば済むだけの話なので、Z世代には信じられないようなバイトかもしれないけれど。