ショックだった。
僕は、そのニュースを知った時、思わず大きな声を上げてしまったほどだ。
闘病生活が続いていたので、心配はしていたが、これまで何度も復活してくれていたから、きっとまた、元気な姿で戻ってきてくれると信じていた。
しかし、その願いは叶わなかった。
昨日。2018年7月2日。
桂歌丸師匠は、帰らぬ人になってしまったのだ。あぁ。
僕にとって、歌丸師匠は、特別な存在だった。
師匠の自宅は、僕の実家近くにあり、だから僕は、子どもの頃から何度も見かけていた。
近所のお祭りが開かれた際は、太鼓を叩いてくださり、その姿を何度も見かけて、感激したことを思い出す。
思い出は、それだけじゃない。
遙か昔。僕が大学の落語研究会に属していた頃のこと。
落研指導役のひとりに、当時「笑点」大喜利に出演していた桂才賀師匠*1がおり、落語合宿などで、よくお話を聞かせていただいた。
「笑点」の裏話として、歌丸師匠が、大喜利では別格だったというエピソードを伺い、とても印象深かった記憶がある。
僕は、歌丸師匠と直接お話をさせていただく機会こそなかったものの、実に思い入れの深い噺家だったのだ。
この春。
帰省ランをしていた際に、初めてその存在を知った「歌丸桜」。
平成23年に名付けられたものだということなので、僕が子供の頃になかった桜だ。
今はもう、桜の花は完全に散っている筈で、それを追うように、歌丸師匠も逝ってしまった。
しかし、桜の花は、また来年も咲く。生き続けていく。
来年も、桜の季節にはここへ来て、師匠のことを偲びたい。天国で、新たな花を咲かせてくれている筈の姿を、夢見ようと思う。
歌丸師匠、どうぞ安らかに。合掌。
*1:僕が指導を受けていた頃は、まだ二つ目で、古今亭朝次を名乗っていた。