昨晩は、退社後、整形外科に直行した。
悪夢の手首骨折から1週間。先生から、状態を確認する必要があると言われていたからだ。
診察を受ける前、僕は少し希望を抱いていた。
膝については、もう、全く痛くないし、手首も、力をかけたり捻ったりしなければ痛まない。
ひょっとすると、スポーツ選手並みの奇跡的な回復をしていて、「ギプスをとってもいい」「自由に走ってもいい」というようなコメントもらえるかもしれない。
そう思っていたのである。
診察前、待合室で撮った写真。
1週間、腕に装着し続けたために、かなり汚れてしまい、痒みも生じている。
僕は、これをいったん外してもらえるのが嬉しくて、あわよくば、もう、しなくてもいいかもしれないという夢を抱いて、この記念写真を撮った。
僕の名前が呼ばれ、診察が始まった。
先生に現状を問われたので、僕は以下のように話した。
「足は、もう、全く痛くありません。手首も、ちょっと気にはなりますが、日常的な痛みはないようです。」
そして、「走り始めてみても、大丈夫でしょうか…?」とも尋ねてみた。
もともと先生は、僕の東京マラソン出走を気にかけてくれており、「足の痛みが治まったら、走っても良い」と言われていたが、念のための確認だった。
先生は、そんな僕の話を聞いた後、「では…もう一度手首のレントゲンを撮りましょう」と告げた。
ということでX線室へ。先週と同じように、掌、手の甲、手首側面…と3枚のレントゲンを撮影。
その後、再び僕の名前が呼ばれ…僕は、診察室に入った。
撮ったばかりのX線写真を見ながら、先生は、僕にこう告げた。
「東京マラソンまで、あと2週間ぐらいですし…走りたいですよね?」
僕は、精一杯力強く、「はい」と答えた。
そして、次の言葉に大きく期待して待っていると、僕にとって、全く想定外のセリフが発せられた。
「では、ギプスをしましょう」
え?え?えっ?
僕は、あまりにも想定外だったので、一瞬、何を言われたのかよくわからなかった。
先生は、さらに言葉を繋ぐ。
「ヒビに近い感じですが、やはり骨折の線が見えます。手首も充血しているようですし、ギプスが必要だと思います。」
確かに、手首部分を見ると、赤黒く充血している。僕が想像しているよりも状態は悪かったのだ。
僕は、淡い期待を抱いてしまっていたので、診断結果のショックに、目の前が真っ暗になった。
それにしても…。と、僕はあらためて思った。
僕はこれまで、1週間ギプスを装着してきたのではなかったのか?それで良くなってきたのではなかったのか?
「では、ギプスを外しましょう」なら話はわかるが、「ギプスをしましょう」というのはいったい???
そんな呆気にとられている僕の表情を見てか、先生は、次の言葉を付け足した。
「添え木のパターンだと、固定が甘くて、走りにくいと思います。不自由さは増しますが、走るためには、ギプスでがっちり留めてしまった方がいいです。」
と。
ここで初めて、僕は自分の誤解に気がついた。
僕がこれまで1週間していたのは、ギプスではなかったのだ。
僕は、これまでギプスの経験がなかったので、「腕を固定するもの=ギプス」だと勝手に思っていた。
しかし、それは全くの別物だったのである。
僕がそれまで装着していたのは、「シーネ」と呼ばれる骨折の治療具で、ギプスとは似て非なるものだった。
添え木を使って固定するため、腕を完全に固めてしまうわけではない。
骨折部位の状況を、随時確認することができたりして、融通が利くようなのだけれど、固定されていない分、激しく動くとぐらぐら動いてしまう。
ということで、先生は、僕がランニング練習できるようにするために、ギプスへの付け替えをしましょうと言ってくださったのである。
いやはや、嬉しいじゃないか。
僕は、腕に、石膏付きの包帯をガチガチに巻かれながら、先生に尋ねた。
「これで走っても大丈夫なのでしょうか?」
先生は、僕の問いに、力強く、こう答えてくれた。
「完全に固定しますから、全く問題ありません。走ってみてください。」
僕は、診察を受けながら、歓喜しそうになった。
走っていいんだ!
先生からの、優しく嬉しい言葉はさらに続いた。
「走ると、汗をかいて蒸れてくると思いますので、来週、ギプスの付け替えをしましょう。」
練習して、汗をかいた後の気遣いまでしてくれるなんて。
さらには…。
「東京マラソンでは、できるだけ走りやすいように、当日用として、手首部分だけを留めるタイプを別途作ります。」
いやはや、嬉しいじゃないか。
僕は、いったん沈んだ心に、大きく陽が射してくるのを感じた。
がっちりと、ギプスがとまった僕の腕。
患部は全く動かないし、包帯がずれることもない。確かに、これならば、ランニング練習しても問題なさそうだ。
とりあえず、この週末は、無理のない範囲で、可能な限り走ってみよう。
僕は、そう心に決めて、整形外科を出た。