不定期連載、アレクサと「記念日について語ろう」シリーズw
今日、12月16日に彼女が教えてくれた記念日は、《電話創業の日》だった。
おはようございます。今日は「電話創業の日」です。
1890年の今日、日本で初めて電話が開通しました。当時は東京と横浜でしか使えず、電話交換局にいる交換手の手助けが必要でした。
今は簡単にかけられますが、昔は電話をかけるのも大変な作業だったのですね。
簡単に…も何も、今や、誰も彼もが、電話を「持ち歩く」時代になってしまった。
アレクサが画像表示している、ダイヤル式の赤電話なんて、もはや化石といえる存在だ。
電話発明の祖といわれるグラハム・ベルも、こんな未来は予測できなかったのではなかろうか。
この記念日について、僕は、2005年の今日もブログネタにしている。
その電話が、また一歩新たな世界に踏み出そうとしている。言うまでもなく、ウィルコムのW-ZERO3だ。
携帯電話が、今度は無線LANや、本格的なキーボード、Windows Mobile まで組み込んでしまうのだから、技術の進歩には、恐れ入るばかりである。
そうか。
当時僕は、ウィルコムのW-ZERO3登場に衝撃を受けていたんだなぁ。
W-ZERO3は、携帯電話ではなく、PHS規格のガジェット。
携帯電話に比べて通信エリアが狭いPHSは、通話用のメイン電話として使うには、心許ないところがある。
しかし、そんな逆境を逆手にとって、ウィルコムは、スマートフォンで名を上げる。
W-ZERO3は、日本におけるスマートフォンの先駆けなのだ。
まだ、iPhoneが影も形もない時代。「スマホ、何それ?」って言われる時代。
僕がW-ZERO3で電話していたら、ラジオでも聞いているのかと思われたエピソードまであるほど。
折角だから、当時、僕が使っていた電話たちを振り返ってみることにしよう。
一番左は、僕が初めて買った携帯電話。
発表当初(2001年)は、売れに売れたNECのN503i。
それなりに気に入って使っていたが、INFOBARの登場に痺れて、あっという間にお蔵入り。
写真中央が、2003年に購入して以来、8年間惚れ込み続けた初代INFOBAR。
スマホにのめり込んで以降も、「電話」としては、これをメインに使っていた。
ずっと綺麗な筐体で使いたくて、外装交換を2回も実施。
キャリアでの交換作業中は、代替機が提供された。
僕は、ジュニア携帯をあてがわれるという屈辱を受けたが、それでも耐えて使ったほど。
40過ぎ(当時)のオッサンが、よくもまぁ、こんな電話を使ったものだ。
我ながら感心するけれど、それほど僕は、INFOBARを愛していたのである。
僕は、永遠に使い続けたいぐらい好きだったのだけれど…。
2012年7月、KDDIがCDMA 1Xのサービスを停止することとなり、泣く泣く別れを告げたことを思い出す。
そして、一番右。
僕が初めて買ったスマホ。ウィルコムW-ZERO3。
INFOBARと併用しながら、僕は、このシリーズにも惚れ込んでおり、後継機であるW-ZERO3[es]、Advanced/W-ZERO3[es]もゲットした。
その思い出は、以前のエントリーで詳しく書かせていただいている。
残念ながら、PHSはサービス終了となり、もう、通信を行うことはできない。
悲しいけれど、それも時代の流れだ。
電話の進化は凄まじく、老若男女、猫も杓子もスマホ時代になりつつある。
通信速度も、3G→4G→5Gと進化。
その高速化とともに、対応するガラケーが少なくなり、今やもう、絶滅寸前。
これを書いている2022年現在は、iPhone&Androidスマートフォンによる、《大画面スマホ》が主流。
しかしその一方で、二つ折りスマホが登場したりして、新しいウェーブの兆しも生じている。
今後、電話はどのようなスタイルになっていくのだろう。どんな進化をしていくのだろう。
10年後の電話創業の日。
このブログがまだ続いていたら、その歴史を振り返ってみることにしようw