- ジェットコースターの日
- 独立宣言の日 (アルゼンチン)
- 聖母チキンキラの祭日
- 鴎外忌
僕は、小さい頃からジェットコースターがとても苦手だった。
もちろん、友達に誘われて遊園地に行ったことは何度もある。
東京ディズニーランドにも、もちろん、行った。
しかし、遊園地に行けば、ジェットコースターは花形だから、
「みんなで乗ろう」という流れになるのは必然で、僕だけが
断るわけにもいかず、本当に苦しんだことを覚えている。
ジェットコースターで、僕が一番恐いと思うのは、落ちていく
瞬間ではない。
もちろん、それはそれで非常に恐いのだけれど、いったん落ちて
しまえば、あとは流れに任せて引きずられていくだけだ。
「あと1分の辛抱」「あと30秒の我慢」と思いながら、心の中で
念仏でも唱えていれば、何とか耐えられないことはない。
何より恐いのは、最初の頂点に向かうまでの間、不気味なほど
ゆっくりと上がっていく*1瞬間なのだ。
その後に起きる恐怖を想定して、心臓やら胃やらが口から飛び
出しそうになるぐらい、苦しいのである。
しかし、ある時、僕は悟った。
景色を見るから、やがて起きる衝撃を想像するから、恐いのだと。
落ちていく瞬間が近づいていくほど、苦しいのだ。
だから、その瞬間がいつかわからなければ恐怖は、軽減される筈だと。
果たして、その推測は当たっていた。
「目をつぶって」ジェットコースターに乗るようにして以来、僕の
恐怖は大幅に削減されたからだ。
「暗闇の中で何が起きるかわからないのは恐いんじゃないの?」という
疑問を友達から受けるのだが、それはむしろ逆だ。
何が起きるかはわかっているのだ。ジェットコースターに乗っているの
だから、上ったり落ちたりするのはわかっている。
ただ、それを自分で見て知ってしまうと、「次に来る恐怖」が目の前に
迫っていることがわかるために、苦しんでしまうのである。
「目をつぶって乗ったら、景色もコースも見えなくなるのだから、
面白くも何ともないじゃないか」という質問も受ける。
ある意味これは正解である。
みんなが「面白い」と思う部分は、イコール、僕にとっては「恐怖」で
しかないのだから、逆説的に、面白くない方が良いのだ。
と、ジェットコースターの日だというのに、否定的なことばかり書いて
しまったなぁ…
*1:最近は、スタート直後からトップスピードになる機種も多いようだが、僕が子供の頃に乗ったジェットコースターは、まだまだそういったタイプのものは少なかったのだ