餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?

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土砂降りの「サロマ湖100kmウルトラマラソン2017」敗者の悔恨

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スタート直前。

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激しい雨が降り注いだ。

ランナーに向けてアナウンスをしていた女性が、「これまでのサロマで一番の大雨」と告げている。

去年も雨のサロマではあったけれど、スタート直前は、まだ霧雨程度だった。

僕は、心が憂鬱になりながらも、何とか耐えられると信じていた。雨と寒さで苦しんだ、昨年の轍を踏まないよう、十分に準備した…と思っていたからだ。

ウインドブレーカーの上に、防水用のゴミ袋をかぶり、さらに100均のレインコートまで羽織った。手袋もしっかり装着した。

だから大丈夫…と思っていたのだけれど、しかし、僕はまだまだ甘く、そして、弱かった。

号砲が鳴り、走り始めても、雨は容赦なく降り注いだ。

僕は、尾てい骨痛が治まっていない感じで、スピードも乗らず、去年よりも断然遅いペースで走っていた。

そしてそれが、僕にとって最大の間違いを犯させることになる。

重装備の上半身、100均の安っぽいレインコートが身体にまとわりついて、ちょっと走りにくいと感じ、何とかしなければ…と、思ってしまったのだ。

加えて。出走ナンバーも大きな徒になった。

ナンバーカードを受け取ったとき、「これはラッキーだ!」と思ったほどの縁起がいい番号が、冷静な判断を狂わせた。

僕は、ナンバーカードを、ランシャツの上に装着していたため、その上にウインドブレーカー、防水用ゴミ袋、レインコートを纏った身体では、ナンバーがかなり見えにくい状況。

途中、すれ違ったラン仲間から、「折角いい番号なのに、よく見えないのはもったいない」と声をかけられたし、そもそも、はっきりとナンバーが可視できないのは、問題のような気がした。

だから。

10km過ぎ…雨が少し小降りになった瞬間。

僕は、あろうことか、命綱*1だった筈のレインコートをエイドに捨ててしまった!のだ。

今から振り返れば、無理矢理腰に巻いてでも装着しておくべきだったが、それも走りにくいと考えたので、捨てることを決断したのだ。愚かすぎる。

しかし、その時点では、何とかなると思っていた。

僕には、まだウインドブレーカーと防水用のゴミ袋があったし、僕より軽装備で走っているランナーもたくさんいたからだ。

その後、僕は、何人ものランナーに、後ろから声をかけられた。

「いやぁ、ラッキーナンバーですねぇ。」

「羨ましい。それ、偶然ですか?すごい。」

「最高ですね」

…などなど。

僕は、そういった言葉をかけられるたび、とても嬉しく、元気が沸いてきた。

僕は、そのナンバーを、もっとよく見てもらいたい、元気を与えて欲しい、という思いで、防水用のゴミ袋まで脱ぎ(馬鹿か!)ウインドブレーカーのみに変更して走った。

これからきっと気温も上がるだろうし、雨も止むかもしれない。だから大丈夫…。と、考えたが、それが大きな間違いだったのだ。

30km過ぎ。雨は再び激しくなった。加えて、猛烈な向かい風。

ウインドブレーカーは、風は多少凌いでくれたが、猛烈な雨を凌ぐだけの耐性はなく、身体に雨の冷たさが染み渡ってきた。

手袋も水浸しになり、しんしんと手がかじかんだ。身体が全く動かない。思うように脚を進めることができない。

完全な低体温症の症状で、命の危険を感じたほど。

僕は、あわてて、ポケットに入れていた、防水用のゴミ袋をかぶったが、それでも身体の冷たさは治まらなかった。

まだ前半も前半、30kmを過ぎた時点なのに、頭の中にリタイアの文字がよぎった。

しかし、42km過ぎの地点で、ラン仲間が応援してくれることがわかっていたため、そこまでは何とか頑張ろう…と心に決めて走った。

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42.195km。何とか通過…。

去年は、3時間51分で通過しているのに、今年は4時間35分もかかっている。

僕は、この先で、何人もラン仲間から元気をもらい、さらに、多数のランナーから(そのナンバーいいですね!などの)声をかけてもらったことで、気力を振り絞って走った。

身体は冷え切っており、脚も動かず、本当に厳しい状態だったが、54km地点のレストステーションには、長袖シャツなどを含む、着替えを入れていたので、何とかそこまで頑張れば、寒さにも耐え抜けると信じた。

50km地点、通過。5時間39分。去年は5時間切りで到達しているから、大幅な遅延状況は変わらない。

しかし、まだこの時点では、諦めていなかった。

好タイムはもちろん狙えないが、完走ということを考えれば、まだまだ十分頑張れる気がしたのだ。

気持ちが少しプラスになったのは、この時点で、雨が止んでいたため。空は明るくなっており、とても走りやすい気候だった。

身体も少しだけ動けるように感じ、「これなら、何とか巻き返せるかも!」と思った。

54km地点。レストステーション、到着。

僕は、ここで待っていてくれたラン仲間に大きな力をもらった。言葉はもちろんのこと、防寒用のアンダーウェアまで貸してもらえたからだ。

レストステーションの袋には、自分が用意していた長袖シャツもあったため、それを着込んで、上半身は一気に手厚くなった。

ラン仲間からの暖かい言葉、そして、回復した天気を武器に、僕は何とか頑張れる思いを抱いていた。

しかし…。

レストステーションを出た後、雨が再び激しく降ってきた。

僕は、30km過ぎ地点で受けた症状と同様、身体が凍えて、脚が動かなくなった。加えて、目眩も発生。つらい。つらすぎる。

僕は、十分な防寒装備になった筈なのだけれど、時、既に遅しだった。レストステーションで、しばらく動きを止めてしまったことで、身体が冷えたのかもしれない。

僕は、這々の体で、57km看板を過ぎた時、まだまだ続く先の長さに気がついて、愕然。

「こんな身体で、まだフルマラソン以上の距離を走らなければいけないのか…。」と感じ、絶望的な思いになった。

思えば、そんな考えを抱いた時点で、僕は、もう、このレースの《敗者》になってしまったのだ。

マラソンは、メンタルなスポーツ。

ここまで何とか踏ん張ってきたのだから、「半分以上…57kmも走って、あとはたった43km」と思わなければいけないのに、「フルマラソン以上の距離が残っている」などと考えた時点で負け組。

サロマには、これまで5回の出場で、めちゃめちゃ暑かった年でも、そんなことを考えたことはなかった。

もちろん、つらいときもたくさんあったが、何とか、完走を信じて走り切れた。

しかし、今年の僕は、降りしきる雨の冷たさに、精神面でも、肉体面でも、もう、全くお釣りが残っておらず、完全にアウトだった。

走りたい気持ちはあっても脚が進まず、歩き続けていると、雨と寒さで身体が凍え、生命の危機を感じるほど、震えた。

結果…。 

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 60km地点、無念のリタイア…。

レストステーションのロスがあったとはいえ、50kmから60kmのタイムは、1時間36分もかかっている。

こんな状態では、何とか走りを続けたとしても、きっと関門で引っかかっていたろう。

今から思えば、何もかもが失敗だった。自分の甘さ、弱さが、今回の結果に繋がった。

今回のサロマでは、僕のラン仲間もたくさん出走していたが、多くのメンバーが、雨と寒さに苦しみながらも、それを克服し、完走していた。

雨の装備ということを考えると、僕よりも軽装備で完走している人もたくさんいた。

ランナーには、人それぞれ体質の違いがある。きっと、僕は、「ひときわ雨と寒さに弱い」ランナーなのだ。 

マラソンは基本的に冬のスポーツだし、僕も、今回のサロマよりも厳しい寒さで走ったフルマラソンはたくさんある。

しかし、フルとウルトラでは状況が違うし、暑い東京から、いきなり極寒の雨風レースに出場となったことで、僕の身体は悲鳴を上げてしまった。

そう考えると、僕は、去年の反省を全く生かしていなかった。

馬鹿だ、愚かだ。弱すぎる。本当に、本当に情けない。

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200km走って編み出した理論 岩本能史コーチの100kmマラソンは誰でも快走できる

6年前、サロマに挑んだ最初の年、何度も何度も読み込んだ本。

この本を読んで、いちから出直しかなぁ…。

*1:これは大袈裟な表現ではなく、あとで本当にそう思った。


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