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岡部幸雄、引退。

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まずは、お疲れさまと言いたい。

 中央競馬の現役最年長ジョッキー、岡部幸雄騎手(56)が引退することが、明らかになった。10日に東京都内で記者会見し、正式表明する。67年3月のデビュー以来、38年間にわたって前人未到の通算2943勝を挙げたが、持病のヒザの故障で3000勝を目前にムチを置くことを決意した。

 岡部騎手は7冠馬・シンボリルドルフの主戦ジョッキー。88年の有馬記念でオグリキャップ、93年の菊花賞でビワハヤヒデに騎乗して勝つなど、G1レースで31勝を挙げている。02年の有馬記念後、けがでレースから遠ざかっていたが、昨年1月25日に399日ぶりに復帰したレースで勝利を果たした。「一日でも長く乗りたい」と言い続けてきた岡部騎手だが、2月20日の東京競馬場でのレースを最後に休養していた。

 JRA(日本中央競馬会)は数々の記録を残した“鉄人”をたたえ、今月19、20日を「岡部ウイーク」とし、さまざまなイベントを行う予定。
【3/9 毎日新聞】


僕が競馬を始めた時、岡部はすでにスーパースターだった。
その頃はまだ、鉄人増沢末夫がいて、勝ち鞍の数こそ、トップではなかった
ものの、「前人未踏」と言われた増沢の2000勝を、あっという間に抜き去った
ことは今でも覚えている。


関東リーディングのトップを常に独走し、岡部が乗るだけで人気になった。
とにかく巧かったし、憎らしいほど勝ち続けた。
ただ勝つだけではない。
常に馬の身になって考える「馬優先主義」という考え方は、今でこそ
競馬界に根付いてきているけれど、もともとは岡部の哲学であり、
強い信念だった。


リーディングをともに争った、同期の柴田政人が引退したのは、平成6年。
今やそれから10年以上が経過している。
小島太、南井克巳、的場均、河内洋といった年下のリーディング上位
ジョッキーが、次々と調教師への転身を進めていく中で、ただひとり、
岡部は現役にこだわった。


2002年の有馬記念を最後に、レースから長い間遠ざかっていたときは、
おそらく誰もがそのまま引退するのではないかと思っていた筈だ。
しかし。
昨年1月、なんと399日ぶりに復帰し、しかもその日に勝利をあげた
のには驚いた。


若竹賞。ダンスインザムード。
馬の実力が抜けていたから、勝って当たり前のようなレースだった。
だからこれは、長年タッグを組んで勝ち星を重ねた藤沢和雄師から
岡部への復帰祝いであったのだと思う。
レースは、楽勝だった。
全盛期の岡部を彷彿させる、2番手からの好位差しで鮮やかに
勝って見せた。


しかし、僕が驚いたのはレース後のインタビューだ。
競馬界の第一人者であった、あの岡部幸雄が、まるで新人
ジョッキーのように頭を丸めていたからである。
頭を丸めた理由も、まさにその通りだったようで、インタビューでも
「新人(のようなもの)ですから・・」と答えている。


そこには、かつて憎らしいほど勝利を重ねた、あの岡部幸雄の
面影は感じられなかった。
そして、想像以上に年老いて見えた。
それはそうだろう、その時の岡部は既にもう55歳だ。
中央競馬界最年長のジョッキーだったのだから。
それだけの年齢になりながら、現役にこだわり続け、1年以上の
ブランクを乗り越えて勝利した岡部幸雄。
これは本当に凄いことだと思う。


涙を浮かべながらインタビューに応じたの時の岡部の姿を、
僕は一生忘れないだろう。


これが単なるおざなりの、形だけの復帰ではなかったことは、
その後60勝もの勝利をあげたことが証明している。
だから、先日、休養が発表された時も、またいずれ戻ってきて
くれると信じていた。
3000勝まであと57勝。昨年の成績を考えれば十分に達成
可能な数字だったから、これだけは是非達成してもらいたいと
願っていた。


前人未踏の3000勝とはいっても、すぐ後ろには、35歳という
若さにして2500勝という驚異的な実績を上げている武豊が
いるから、刹那的な記録であるのかもしれない。
しかし、それでも意識はしていただろう。
だから、今回の引退は、岡部にとって無念に違いない。


願わくば、これも悲願であった筈の旧8大競走(桜花賞・
オークス・皐月賞・ダービー・菊花賞・天皇賞《春・秋》
有馬記念)制覇を果たさせてあげたかった。
そのうち7つまでは楽々制覇しながら、しかもオークスは
早くから3勝もしながら桜花賞だけが、なぜか残って
しまっていたからだ。
去年は、ダンスインザムードの若竹賞勝利で、その
最大にして最後のチャンスがやってきたと信じた。
しかし、そのレース後のダンスインザムードに、自分が
続けて乗れる保証はないと知った時、岡部は、時の
流れを感じたのではないか。


特別なレースを勝つためには「その時点で最良の騎手」を
使うといって憚らないのが、ドライな藤沢流だ。
しかし、武豊を背に桜花賞を楽勝したダンスインザムードを
見た時、「なんでここに岡部を乗せてあげられなかったかなぁ」
と、僕は思った。
あれだけタッグを組んできた岡部を、肝心のクラシックでは
あっさりと見捨て、それまで殆ど縁がなかった武豊に依頼を
行う、その冷酷さを恨みさえした。


しかし、それで、岡部が残した数々の栄光が薄れるわけでは
ないし、単なる勝ち星の数だけではない感動を、与えて
くれた事実は残っている。


かねてから「調教師は騎手とは全く違う才能が要求される。
自分にはなる考えがない」と言い続けていたから、おそらく、
レールが引かれている調教師への道を選ぶことはないだろう。
「騎手を育ててみたい」という意欲を見せていたこともあり、
そういった道に進むのではないかと思う。


岡部のことだから、新しい道でもまた違った岡部流を貫いて
実績を積み上げてくれると思う。
騎乗姿こそ見られなくなってしまうが、まだまだ中央競馬で
不可欠の存在であることは間違いないからだ。


岡部幸雄ジョッキーよ、今まで素晴らしいレースを見せて
くれてどうもありがとう。そして、本当にお疲れさま。


今後、新たな道での成功を心から祈りたい。


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