いやぁ、驚いた。
2012年にノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が、ランナーであることは以前から知っていた。
しかし、まさか、このレースに出場するとは思わなかったからである。
別府大分毎日マラソン。
その出走資格を得るには、老若男女問わず、グロスタイム*1で3時間半を切る必要がある。とってもガチで厳しい大会だ。
この大会に教授が出るというニュースを見た時、僕は、ゲストランナーか何かかと思った。
ノーベル賞受賞当時、山中教授は、サブ4クラスのランナーだった筈。だから、いわば《特別枠》で、基準タイムを満たしていなくても出場できるのかと思ったのだ。
しかし、そうではなかった。そもそも、このガチな大会にそんな制度はない。
教授は、今年の京都マラソンで3時間27分の自己ベストを叩き出し、しっかりと基準をクリアしての別大出走権獲得なのである。
今回の出走を報じた毎日新聞の記事を読んで、僕はさらに唸った。
研究や講演、毎月の海外出張など多忙な日々だが、普段は昼休みに京都の鴨川沿い、休日には大阪城公園付近を走り、月間走行距離は200~250キロ。出張には愛用のランニングシューズを必ず持参する。
月間走行距離200~250キロ!
教授は、僕なんかより断然多忙であることは間違いなく、しかも、僕より年上の55歳!
それでいて、これだけの練習を重ね、タイムを伸ばし、ついに、目標大会への出走を叶えた。
いやはや素晴らしい。素晴らしすぎる。
「研究は長く努力してもなかなか成果が出ないが、マラソンも同じでひたすら走る努力が必要。でも、報われることも多い。それが研究の励みにもなる」
流石、ノーベル賞受賞者の言葉だけに、重みが違う。
ひたすら走る努力…。そう。マラソンは確かに、努力が結果に結びつくスポーツなのだ。
そう考えると、僕は自分の情けなさに泣けてきた。
月間走行距離も、タイムも落ちていくばかり。加齢のせいだから仕方ない、などとも思っていたのだけれど、それは、単なる練習不足、努力不足の甘えだった。
別大マラソンは、僕にとって、とても思い出深い大会。一応、何とか、ギリギリで、4年連続出走してきたが…。
今年。なんとかフィニッシュはしたものの、タイムアウトに泣いた。
だから、来年はリベンジの年、の筈なのだけれど、この座骨神経痛がおさまらないことにはどうにも厳しい。
のんびりと走ることならばできるのだけれど、スピードが全く出せないので、別大出走なんて論外。
今の脚の状態を考えると、第一関門(10km : 52分)で収容されてしまうことは必至で、だから、どう考えても、DNS*2せざるを得ないのだ。
これも甘えだろうか。甘えなのかもしれない。でも、やっぱり無理なものは無理。
あぁ、山中教授と一緒に走りたかったけれどなぁ…。
【中古】別府大分毎日マラソン大会四十年史
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