先週の土曜日。
激しい雨が降りしきる中、僕は有楽町のヒューマントラストシネマに赴いた。
その目的は…。
「敵」
を見るためだ。
ロードショー公開は、来年の1月17日からなのだけれど、今年の東京国際映画祭に出展されているため、それに先駆けて3回だけ上映。
僕は、そのチャンスを逃してなるまいと、チケットを確保して、出かけたという訳だ。
この「敵」は、僕が子どもの頃から心酔してやまない、筒井康隆先生原作。
1998年に、新潮社の《純文学書き下ろし特別作品》として刊行されている。
もちろん僕は、発売後すぐにゲットしたし、貪り読んだことを思い出す。
オビの惹句は、《渡辺儀助75歳。その脳髄に敵が宿る。》というもので、当時63歳だった筒井先生が、75歳の老人の日常(と、それが崩れていくさま)を描いた傑作だった。
単行本のオビ裏には、儀助に扮した筒井先生の写真が掲載されており、後に刊行された文庫版では、その表紙に取り入れられたのが印象的。
先生は、今から約5年前の「老人の美学」刊行時、林真理子さんとの対談で、このように語られている。
筒井:僕もう85歳ですよ。老人を主人公にした本を書き始めたのは、もう20年ぐらい前なんです。
『敵』というタイトルの本で、老人って見てるといろいろおもしろいでしょう。老人を主人公にしたらおもしろいだろうなと思って、60歳をちょっと過ぎたぐらいに書いたんです。本当に老人になったら老人のことを書けないと思って。
筒井康隆が考える理想的な“老い”「死の恐怖や苦痛から逃れようとすれば、ボケなきゃ仕方がない」 | AERA dot. (アエラドット)
筒井先生は、あくまで《老人テーマ》の作品を書いたら面白いだろうと思っただけであり、老人文学に傾斜したわけではない。
「敵」以降も、先生は、「ダンシング・ヴァニティ」「聖痕 」そして、最後の長編「モナドの領域」に至るまで、老人テーマとは無縁の意欲作を上梓されつづけてきたのだ。
僕は、「敵」が映画化されると知った時、ちょっと驚いた。
この小説を読んだ人ならばわかると思うけれど、決して映画向きの内容ではないし、小説ならではの《仕掛け》もあるからだ。
ただ、他ならぬ筒井先生が映画化を認め、そして評価しておられたのだから、間違いない筈。
僕は、いったいどのような映像になっているのだろうと、ワクワクしながら、ヒューマントラストシネマに到着。
僕は、ロードショー公開より、2ヶ月以上早く見ることができる至福を噛みしめつつ、上映開始を待ち、そして…。
心から感服した。
いやぁ、これは紛うことなき大傑作だ。
原作のモチーフを生かしつつ、「映画」としての脚色が見事になされている。
主演の長塚京三さんは、完璧に《渡辺儀助》になりきっていて、圧巻。
現代の風景を描いているにも関わらず、モノクロの映像を使ったことで、「老人から見た世界」「崩れていく日常」「現実と幻想の往来」を効果的に演出している。
流石、吉田 大八監督だなぁ…と、僕は思わず唸ってしまった。
映画を見終わった後、あらためて「敵」を読み返すと、食事シーンなど、原作のディテールを丹念に描いていた部分の映像が、脳裏に甦ってきた。
原作の素晴らしさを生かしつつ、映画ならでは、現代ならではのアレンジもふんだんに盛り込まれた、最高の映画だったことを実感。
来年1月。ロードショー公開されたら、また必ず見に行くつもりだ。