原作は、伊坂幸太郎「マリア・ビートル」
東北新幹線の車内を舞台として、東京から盛岡までの数時間で、多数の殺し屋たちが繰り広げる、実にスリリングな物語。
緻密な構成、軽妙な会話(特に「檸檬」と「蜜柑」のコンビが最高!)、手に汗握る展開。伏線の回収も鮮やかで、伊坂幸太郎らしい大傑作だ。
そんな「マリアビートル」が、なんと、ブラッド・ピット主演で、ハリウッド映画化されるということになり、僕は大いに期待した。
それがついに、日本で劇場公開。
僕は、今回あらためて原作を再読し、「やっぱり最高!」と思いながら、スクリーンに臨んだ。
しかし…。
その2時間後、僕は大いに落胆して劇場を出た。
世間の評判は、悪くない。
いや、悪くないどころか、SNSやYouTubeでの感想を見ると、むしろ、絶賛の嵐という状況。
ただ僕は、練りに練られた原作があまりに好きだったので、どうにも受け入れがたかった。
もちろん、原作は原作であって、映画は別物。そう考えるべきだと思う。
主要キャラクターは(「王子」以外)ほぼ、原作のコンセプトを生かしており、むしろ原作を尊重しているとも言える。
しかしやっぱり、僕にはついていけなかった。
こんなのは日本じゃない!
新幹線じゃない!
と思った違和感が、最後まで残ってしまったからである。
以下、愚痴っぽいネタばれが続くので、これから見に行く予定の方はスルー推奨。
------------------------------------------------------------------------------------------
この映画の舞台となるのは、東京~京都を走る新幹線らしき超特急「ゆかり」号。
東京~京都間は、「のぞみ」なら約2時間10分。各駅の「こだま」でも約3時間半。
それなのに、「ゆかり」号は、やたらと時間がかかっている。
東京を夜に出発して、京都に着くのは早朝。いったいどういう新幹線なんだよ。
東京駅も品川駅も、やたらと近未来的なのに、静岡駅は現代風。米原駅に至っては、まるで秘境だ。
そして、その後に出てくる富士山らしき山。地軸が狂ってる。
車内には、店員も客もいないバーがあり、そこが殺し屋たちの戦場となって荒れ放題。
殺し屋たちがバーを占拠していても、車内の売り子は、何の疑問も抱かずに、商品を販売しながら通過。
その価格は、炭酸水1本が税込1,000円(!)なのだから驚いた。ぼったくりバーかよ。
出てくる風景や状況は、どれもこれも「日本」っぽくないし、「新幹線」らしくもない。
僕はもう、これが気になって気になって、物語世界に没入することができなかった。
それもその筈…。
この映画は全く日本で撮影されておらず、米国人がイメージするニッポンという世界で作られていたからだ。
舞台が日本である必要があったのか、これ?と、物語前半ではずっと思っていた。
後半。
真田広之演ずる《剣の達人エルダー》が登場することで、「あぁ、この剣術を見せたかったのか」とは思ったが、やっぱり、無理矢理感が否めない。
ツッコミどころは、まだまだ無数にある。
新幹線車内にいるのは、外人の殺し屋たちと、ごく一部の日本人客だけ。
しかも、日本人たちは、誰も彼も英語を完璧に理解し、会話している。
いつから日本は、こんなグローバルな国になったんだ。
車外に投げ出された殺し屋は、走って新幹線の車体に飛び乗り、外部から拳でガラスを割って車内に侵入。
別の殺し屋は、終点の京都駅到着後、勝手に運転を始めたりする。
いやいや、日本の新幹線は、そんなヤワで簡単な乗り物じゃないですから!
早朝の京都駅ホームは、拳銃を持った殺し屋しかいないし、爆発まで発生。治安悪すぎ。
いったいいつの時代の、どんな日本を描いたら、こういう絵になるのだろう。
…などということを考えずに、それがエンタテインメントなのだと割り切れば、この映画は楽しめたのかもしれない。
僕はもともと荒唐無稽な映画も好きで、この映画以上にメチャメチャな「キングスマン」シリーズなどは、こよなく愛している。
だから、この映画についても、今の日本にこだわることなく、パラレルワールドの日本を描いたドタバタSFミステリーとして見るのが正解だったのだろう。きっと。
でも…。
撮影が殆どロサンゼルスだったのなら、カリフォルニア高速鉄道を舞台にすればよかったじゃないか。
それなら僕も、邪心(?)なく楽しめたに違いない。
唯一、この映画で嬉しかったのは、「檸檬(レモン)」の運命が、原作と異なったこと。
原作は、ほんと悲しかったからなぁ…。