今から半年前。
試行錯誤の上、インプラントを入れる決意をした僕は、抜歯ソケットプリザべーションを受けた。
これは、インプラント体(人工歯根)を受け入れる為に、顎の骨を造成するという手術だ。
1時間半に及ぶ大手術の末、3本の奥歯を抜き、骨補填材を注入。
口内の違和感と痛みに耐えながら、なんとか日常生活に戻ったのを覚えている。
あれから6ヶ月。
再生された骨がようやく固まり、今日がいよいよ「本番」――
インプラント体を埋め込む日が来た。
この半年間、僕は「ようやく普通に噛める日がくる」と信じて待っていた。
しかし、いざ手術を目前にすると、不安の方が勝っている。
いよいよ、僕の身体に異物である金属が埋め込まれるのだ。
今更ながらだけれど、冷静になって考えてみると、ちょっとゾッとする。
顎の骨に穴を開け、チタンのネジのようなものを埋め込む…。
まるで僕の身体が「機械化」していくような気がしてならない。
手術時間はおよそ2時間と言われた。
今回僕は、「セデーション(静脈内鎮静)」を受けない選択をした。
完全に眠るわけではなく、ぼんやりした意識の中で恐怖を和らげる、いわば“特別な麻酔”。
ただし、この「眠るような気分だけの麻酔」に、なんと6万円以上かかるからだ。
さらに、麻酔後のクラッとした感じやフワフワ感が苦手な僕にとって、あまり魅力的には感じられなかった。
だから僕は、「不要」と判断した。
2時間程度の痛みなら耐えられる。抜歯ソケットプリザべーション時の手術が、ちょっと長くなるだけ。大丈夫だ。そう思っていた。
…が。今となっては少し後悔している。
いざ、歯科医院からもらった手術前の注意書きを読み返してみると、恐怖心が膨らんできたのだ。


制限事項は、想像以上に多かった。
手術2時間前以降は、食事のみならず、水さえも不可。体調不良なら即中止。
さらに、こう書かれていた。
「少しでも食事をしてきた場合の逆流や肺炎は自己責任となります。」
その文言を見た瞬間、背筋が凍った。
覚悟していたとはいえ、“生身の身体にドリルを当てる”という現実の重さを感じて震えた。
手術前にこういう恐怖が生じるから、セデーションというものが用意されているんだろうなぁ…とも思った。
ただ、もう今更悔やんでも後の祭り。
泣いても笑っても、あと数時間後に、僕は手術を受けなければいけないからである。
心の中での葛藤はしばらく続いたが、気持ちの切り替えを行うことで、何とか踏ん切りがついた。
例えば僕は今、「インプラント大会」というマラソンレースに参加しているようなもの。
抜歯ソケットプリザベーションという前半の山場を経て、今日辿り着いた「インプラント体埋入手術」は、いわば30km地点――最大の正念場と言える。
ここで足を止めてしまえば、完走はない。
だからここは、どんなに苦しくても乗り越えるしかないのだ。
走るための足。噛むための歯。
どちらも、僕の人生には欠かせない“身体のパーツ”だ。
今日の手術は、その両方のバランスを保つための、いわば「再生のレース」。
2時間の苦痛を超えた先に、再び美味しく餃子を噛みしめられる日があると信じて、僕はこのレースに挑む。
――リタイアはできない。
「噛む」を取り戻すために、今日、僕はそのスタートラインに立つ。
カッコつけすぎに見えるかも知れないけど…恐怖心を誤魔化しているだけなので、ご容赦願いたい。

