もう三十年以上前。僕がまだ二十代だった頃の話。
僕は、中央大学の落語研究会に所属していた。
正直、授業を受けに行くより、落研へ行くために八王子まで通っていた*1と言っていい。
四年生での就職活動が始まるまで、たったの1日も、昼の練習会を休まなかった*2のが、僕のささやかな自慢だ。
その割に落語はちっともうまくならなかったけれど、それはまた別の話。
当時、中大落研では、年に4回の大きなイベントがあった。
春と秋の発表会。夏合宿。冬合宿。
このうち、冬合宿*3以外は、ガチの落語イベントとなっており、落研の相談役、指導役となっていた落語家の指導を受けた。
僕が落研に所属していた時代、そんな指導役のひとりだった古今亭朝次さんが、晴れて真打に昇進し、七代目の桂才賀を襲名。

落語家の最高位である真打(師匠)となったことにより、中大落研での指導も、本格的に行っていただけることになった。
当時、才賀師匠は、国民的番組である「笑点」のレギュラーメンバーにも就任されて大人気。
ご多忙な中、僕らを指導してくださったご恩は、一生忘れない大切な記憶だ。
先週末…。
そんな桂才賀師匠の訃報が流れた。
訃報記事を読んでいたら、当時のことを思い出して、胸が苦しくなった。
記事中に掲載されていた、師匠の笑顔を見ていたら、当時の記憶が甦ってきたからだ。
僕の学生時代のアルバムには、少ないながらも、そんな師匠と一緒に撮った写真が残っていた。
もう30年以上前の写真をスキャンしたものだから、ひどく粗い画像ではあるけれど、いつでもまた振り返ることができるよう、ここに残しておきたい。

発表会後の集合写真。その1。

発表会後の集合写真。その2。
これは、僕が四年生の時、「錦の袈裟」という演目で中トリ*4をとらせていただいた時のもの。
だから僕は、光栄にも、師匠の隣*5に座らせていただいている。

夏合宿での記念写真。
いつでも師匠は、僕らを気遣い、優しく指導してくださったことを思い出す。
僕らの朝次さん。そして、七代目桂才賀師匠。
本当に、本当にありがとうございました。
どうぞ安らかに。

