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小松左京追悼特集…が夢だと知った「SFマガジン」11月号の現実

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苦肉の策が、却って切ない。


SFマガジン2011年11月号

表紙に並ぶ作家陣の名前は壮観だ。
まさに、日本SFの第一世代。黄金期を作ってきた面々。それは間違いない。しかし、「なぜ」「今」この特集なのか。やっぱり無理矢理という感が否めない。
先月号のエントリーでも書いたから繰り返しになってしまうのだけれど、小松左京という、日本SF界の第一人者、SFマガジンにとっても初期の功労者というべき作家が亡くなったというのに、どうして追悼特集ではなく、こういった特集になってしまうのだ。おかしいじゃないか。
…いや、その理由はわかっている。実はわかっているのだ。
古くからのSFファン、そしてSFマガジン読者ならば、小松左京氏がSFマガジンから離れた経緯を誰もが知ってる。追悼特集号を「出さない」のではなく、「出せない」のだ。だから、SFマガジンにしても、苦しいながらギリギリの線での手向け特集を組んだのだと思う。
ただ、その経緯を知っていても、尚、まだ僕は微かな期待を抱いていた。今回の特集は、単なる「繋ぎ」に過ぎず、いずれしっかりとした総力特集を組んでくれるものだと。
しかし、それはあり得ないことを、特集内容で思い知らされた。
今月号では、第一世代作家ブックガイドとして、厳選34作の書評が掲載されているが、その中に、もちろん小松左京氏の作品も掲載されていた。

上記4作に、「復活の日」と「物体O」を加えた6作。たった6作だけというのは実に寂しいが、掲載されていることは事実だ。
そして、星 敬氏によるいつもながらの大労作、第一世代作家全著作リストでは、もちろん小松作品も全掲載されていた。

こういった形で、切り売り掲載されてしまうと、あえて「あらためて」ブックガイドや著作リストを掲載した追悼号の発表は難しいだろう。やっぱり今号は、苦肉の策だったのだ。追悼色を出さずに(出せずに)かつ、小松左京氏の足跡を辿るには、この方法しかなかったのだ。きっと。

眉村卓氏のエッセイが、唯一、正面から小松左京氏を偲ぶものとなっている。
ただ、これも「日本推理作家協会報」に掲載されたものであって、特に、SFマガジン用に書き下ろしたわけじゃないんだよなぁ。うーん。
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