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サプライズとデジャヴが交錯する「第9地区」

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日本での公開を、指折り数えて待っていた作品。

鑑賞したのは、公開初日の4月10日。この日は朝から予定が目白押しだったのだけれど、何とか全てこなして、レイトショーに間に合った。

劇場に入るやいなや、こんな看板で出迎えられた。
右側はポスター画像と同じで「人類、立入禁止」となっているが、左側は「人間以外立入禁止」との文字がデカデカと記載されていた。真逆の表現だ。
ちょっと不思議だなぁと思ったが、この映画を見始めてすぐに疑問は氷解した。以下は、ネタバレに気をつけながら、感想をつらつらと…。
誤解を恐れずに一言で言えば、異色のB級「風」SF映画だった。
こういった宇宙船襲来系のSF映画だと、たいていは人類(主に米軍)との争いが繰り広げられるのが常なのだけれど、この映画は違っていた。そもそも、どでかい宇宙船の居座る舞台が、ニューヨークでもワシントンでもなく、南アフリカのヨハネスブルグなのだ。それが、この映画最大の特色であり、ポイント。
とにかく、開始から30分の唐突感が凄い。「え?」「えっ?」「えっっ?」の連続。何より、宇宙船の居座ることとなった経緯や説明が殆どなく*1、既得権とでも言わんばかりに存在していることに驚いた。
それもその筈。なんと、この宇宙船は、20年間もヨハネスブルグ上空に留まっていたというのである。あまりにもそれが簡単に説明されるため、僕は一瞬聞き間違いかと思ったほどだ。
20年間も地球に存在しているのだから、宇宙船にも、「第9地区」に住む宇宙人にも当然既得権は存在することとなる。この映画では、何よりその「前提」を受け入れる必要がある。受け入れてしまえば、あまりにも異色すぎる「人類」と「宇宙人」の共存構造も理解できる、と思う*2
そして、それが理解できた時、この映画の舞台がヨハネスブルグだということの重要性を知る。
宇宙船が飛来したとされるのは、1982年。まだネルソン・マンデラは監獄の中。当然、アパルトヘイトまっただなかだ。人種差別が渦巻く国に、突然現れた新しい種族、宇宙人。この国で、いったい「難民」宇宙人はどういった立場になるのか。
そういった背景を踏まえて見ると、この映画が、各種の映画賞にノミネートされた理由も見えてくる。単なるB級映画ではなく、B級を装ったA級作品なのだ。これは。
手持ちカメラでの画像を多用したスピーディな展開は、どことなく「クローバー・フィールド」を想定させるし、骨格となる設定や後半の戦闘シーンは「アバター」を彷彿させる。映画歴の浅い僕はよくわからないけれど、各種映画評では、他の色々な作品にも似ている部分があるようだ。これらの映画に嵌った人には、既視感がちょっと気になるかもしれない。僕は「アバター」との類似にちょっと引っかかった。
全体的には面白い映画で、あっという間の110分だった。しかし僕は、主題を理解し切れていなかったことや、前述の類似に引っかかったせいか、イマイチのめり込めない部分もあった。
ただ、各種映画評を読んだり、パンフレットを見たりしているうちに、この映画の奥深さがジワジワ効いてきた。時間がとれれば、もう1度見たいと思っている。

*1:ドキュメンタリー映画風に、関係者のコメントで推測を述べているが、それだけ。

*2:僕は途中まで、20年という月日の長さを掌握しきれず、違和感を感じてしまった。


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