餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?

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昏倒、救急車、入院、退院〜色々あった3日間。

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何の予兆もなかった。

ほんの30分前、いや10分前でさえ、僕は普通に立って、歩いて、生活していたのだ。まさか、その直後にあんな事態に陥ることになるとは、夢にさえ思わず。今思い出しても信じられないけれど、それは紛れもない事実だ。

もう既に解決していることではあるけれど、振り返ってみることで、再発防止に繋がる鍵が見つかるかもしれないから、書き残しておくことにしたい。

それは、一昨日。5月14日の午後のことだった。時刻は、たぶん午後3時を回る頃だったと思う。3時半には、取引先へ向けての外出を控えていて、あと30分ぐらいで出発だと思った記憶があるから、その点は間違いない。

僕は、それまで自席で資料作成をしていたのだけれど、外出用の鞄を用意しておこうと、椅子から立ち上がった時、突然、視界がぐらついた。まっすぐ立っていることができない。とても耐えられず、すぐに椅子に座り直して、ふらつきが収まるのを待った。

僕はもともと血圧が極度に低く*1、立ちくらみはよくあることだったから、この時も一時的なものかと思った。しかし、この時の症状は、なかなか治まらなかった。外出の時間が迫っていたので、それでも何とか立ち上がり、歩いて、鞄は何とか用意した。しかし、それが限界だった。

脳内を、激しい痛みとぐらつきが襲う。目を開けるのが辛い。もはや外出は無理と判断して、部下に業務を委ねると、僕は同僚に支えられながら、医務室に向かった。眠れば少しは収まると信じて。

しかし、医務室までの、たった50メートル程度の距離が歩けない。まともに呼吸ができないし、さらには手足に猛烈な痺れもやってきた。途中何度かうずくまりながら、医務室へ到達。唯一の支えは意識を失っていなかったことだけれど、頭はくるくる回っていて、目を開けるだけで吐き気がする。いや、吐き気にとどまらず、実際に、僕は医務室の隣のトイレで嘔吐した。止まらなかった。

僕の状態は、よほど酷く見えたに違いない。普段は、とりあえずベッドで休むことを勧める医務室の先生が、すぐに救急車を呼んだ。

それからどれくらいの時間が経ったのだろう。朦朧としながら、僕は救急隊からの質問を受けていた。症状は?いつから?住所は?などなど。意識は辛うじてあったので、それなりに回答はできたと思っている。しかし、医務室のベットから、救急用の椅子へ、そして担架へ。場所が変わるたびに、頭が動くたびに、猛烈な気持ち悪さが襲ってきて、吐きそうになった。

何とか救急車に乗ったものの、車が動くたびに、再び吐き気が襲ってきて、救急隊員が用意してくれたビニール袋の中に僕は嘔吐しまくっていた。猛烈な頭の痛みに襲われながら、哀しくて、切なくて、涙が出た。

急患扱いで、会社の近くの病院に到達。昨年8月に入院した時と同じ、都内の某総合病院だ。そこで僕は、ベッドに横たわりながら、様々な診察を受けた。目眩からくる昏倒、吐き気は、脳と耳の両方が疑われるということで、脳神経外科と耳鼻科の医師がやってきて、僕に様々な質問と緊急の診断を行った。採血、心電図、CTスキャン、内耳の診断等々。

朦朧とした意識の中で、しかしはっきりと覚えているのは、おそらく脳神経外科の医師が発した「すぐ死に繋がるような、脳溢血、クモ膜下出血などの心配はない」との発言だった。

僕は、これで少し安心したのだけれど「ただ、脳梗塞の心配はあるし、MRIも終わっていないので、より詳細な診察が必要」という発言が続き、加えて、耳鼻科からも「メニエルと思われるような症状が、僅かながら見受けられる。」という意見があった。

致死に繋がる状況ではないということで、僕が無理に主張すれば、帰宅も可能だったかもしれない。しかし、実際の僕は、少しでも頭を動かすとクラクラするような発言を繰り返していた(実際、辛くて仕方がなかった)こともあり、医師たちは、「無理矢理帰っても、再度来院することが出来ないような状態になるかもしれないし、ここは入院した方が良い」と断言。僕は、素直にそれに従った。前回同様、あっという間の入院決定だった。なんと、病室までも前回と全く同じ。これには少し驚いた。

ただ、ここからは前回とちょっと違う。前回の前立腺炎時は、40度近くの熱が数日続き、数日苦しみ抜いて、退院までには結局9日間もかかってしまった。しかし、今回は、熱はない。頭はクラクラするものの、寝ている内に、最悪の状態からは脱しているような気が、個人的にもしていた。ゆったりとした環境で治療を受け、落ち着いて眠ることが最良の良薬になるような気もしたのだ。

その見立ては正解だった。点滴による目眩薬の効果も大きかったのだろうとは思うけれど、深夜に目覚めることもなく、病院のベッドでゆったりと睡眠。翌朝は、かなり気分がよくなっていた。

若干頭は重たかった感じはあったけれど、耐えられないほどではない。前日に比べれば雲泥の差だ。何より、自分の脚で普通に歩ける。これが素晴らしい。僕は、もしかしたら1泊2日で退院できるかも!という甘い考えをいだいたほどだった。前日はあれほど苦しんだ癖に、現金なものだ。

しかし、現実はそれほど甘くはなかった。今日は重要なMRIでの検査が控えている。MRIは、以前にも2回ほど受けたことがあるのだけれど、外来では、予約から実施までに時間のかかるのが常だった。入院中であるが故に、翌日に検査を行っていただけるわけで、ここは感謝しなければいけないと思い直した。

ということで、MRI検査。抵抗のある人もいるらしい、独特の「あの音」も、僕にとっては慣れたもので、楽勝だった。その日は、詳細な聴力検査も実施。一通りの診断が終わった。

夕方。医師が僕の病室に来て言った。MRIの検査は異常なし。但し、聴力検査では、「騒音性難聴」の傾向があるという。ライブハウスや工事現場などで、終始大きな騒音に悩まされていると起きる症状らしい。僕は、それほど大きな音で音楽などは聴かないし、大きな騒音の生じる職場で働いているわけではない。「騒音とストレスが重なると…」というくだりに、思い当たる節がなくもなかったけれど、流石にそこまで凄い騒音ではなかろうと考え直し、僕は大丈夫な筈と告げた。

その日の夜で点滴は終了し、明日からは投薬に切り替えるという話があり、僕はそれを受けて、何とか土曜日に退院ができないかと要請した。折角の週末だ。日曜は診察も休みだというし、ただ薬を飲んで寝ているだけならば、家の方が良い。

医師からは、「入院して落ち着いた以上、あと数日は様子を見ても良いのでは」とも言われたのだけれど、僕の状態をみて、「すぐに通院できるなら、退院しても問題ない」という回答も得た。

ということで、こうやって自宅に戻り、退院記を書いている。色々あった怒濤の3日間だけれど、なんとか平和な週末を迎えることができて、本当によかった。

何だかんだで、すっかり夜更けだ。さぁ、今日はゆったりと睡眠をとらなければ…。

*1:上は90、下は60程度しかなく、いつも健康診断でひっかかる。男性でここまで低血圧なのは珍しいらしい。


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