餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?

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地球の静止する日

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先行上映で見た「地球が静止する日」のオリジナル版が、なぜか突然見たくなった。
廉価版DVDが更に安くなっており、1500円程度で買えたので、一瞬購入も考えた。しかし、最新作を購入することはあり得ないのでw、これだけ買っても仕方ないと思い、冷静にレンタルで(^^;

画像を見て貰えばわかるとおり、相当古くさい。それはそうだろう。この映画が上映されたのは1951年。何と今から57年も前なのだから。当然画面は白黒だし、CGなどはあり得ない。人型ロボット(ゴート)は着ぐるみ感100%だし、設定なども(今から考えれば)相当に無理がある。1時間半の映画とはいえ、見始めた時は最後まで耐えられないと思った。
しかし、これが意外に面白かったのである。
ツッコミどころは満載だ。何しろ宇宙人が飛来してきているというのに、そんな安穏とした対応はないだろうという点が多々ある。
クラトゥ(人間そっくりの宇宙人)が病室を脱出して街なかに潜入。それなのに、報道機関は、大変な事態であると叫ぶばかりで、写真も流れない。それでは探そうにも探せないではないか。ワシントンの公園に着陸した宇宙船の警備も手薄すぎ。いくら何でも、警備員2人はあり得ないだろう。宇宙船の見物客を報道していたリポーターは、公園に来たクラトゥにインタビューまで行っている始末。いやはや何とも…と云いたくなった。
そもそも、軍がゴートを公園内に放置しておく理由も不明。手出しできないのか思ったら、鉄より固い透明の物質(いったい何なんだ?)で、動けなくさせてしまったりしてるし…。
とまぁ、言い出せばあと100個ぐらいは(マジで)突っ込めそうなのだけれど、それは「50年以上前の映画」と考えて割り切れば、納得できないことはない。「あの時代はそうだったかもしれないな」で片付くことも多いからだ。
基本的なコンセプトは、むしろ、最新作よりも納得できる。宇宙人の飛来理由は頷けるし、「地球の静止する日」というタイトルも、その内容をよく表していると思う。ラストは結構唐突感があったのだけれど、それを云うならむしろ新作の方がry
この映画の印象を高めたのは、子役。新作の方は、子役が実にうざったくて、不快感さえ覚えた(そもそも、なぜウィル・スミスの子である必要があったのだろう?)のだけれど、オリジナルの方は、実に子供らしい純真な役柄で、それだけでもほっとした。
新作にあるような、壮絶な破壊シーンや特撮シーンなどは皆無なので、かなり趣が異なっている。しかし、CGばやりの今だからこそ、たまにはこういった作品もいい。古き良き佳作。
(蛇足)
新作「地球が静止する日」と、オリジナル「地球の静止する日」の原題は、ともに「The Day the Earth Stood Still」で同一。ならば、変更した意味はいったい何なのだろう。ストーリーは確かにかなり変わっているけれど、それと、この助詞の変化が連関しているとは思えない。DVDを間違って購入してしまわないようにするためだろうか?(まぁ、ジャケットにキアヌ・リーブスがいない時点で、間違える人はいないと思うけれど…)


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