- 老人の日
- としよりの日
- ひじきの日
- シルバーシート記念日
- スカウトの日
- シャウプ勧告の日
- マスカットの日
- 独立記念日 (エルサルバドル)
- 独立記念日 (グアテマラ)
- 独立記念日 (コスタリカ)
- 独立記念日 (ホンジュラス)
- 独立記念日 (ニカラグア)
9月15日と言えば、つい3年前までは敬老の日であった。
ハッピーマンデーに伴い、敬老の日が9月第3月曜日に
移った*1ことで、従前の敬老の日を、老人の日という形で別途に
残すことになったようだ。
直近に敬老の日があるのに、わざわざ別途に設定しなくても
いいのではないかと思うが、その主旨が微妙に異なるようだ。
敬老の日が、その名の通り、《多年にわたり社会につくしてきた
老人を敬愛し、長寿を祝う日》*2であるのに対して、この老人の日は、
《国民の間に広く老人の福祉についての関心と理解を深めるとともに、
老人に対し自らの生活の向上に努める意欲を促す日》ということに
なっている。
おとらく老人福祉法での取り決めだと思うが、老人福祉の関心と
理解を深めるというくだりはいいとして、「老人に対し自らの
生活の向上に努める意欲を促す」というのは、いったいどういう
ふうに意欲を促せば良いというのだ。僕にはまったくわからない。
具体策を示して欲しいと思う。
そもそも、単純に老人とひとくくりにすること自体、僕には疑問だ。
年齢は70を超えていても、精神も、肉体も若者より若い人は、いくら
でもいる。森光子を見るがいい。今年で85才にはとても見えない。
東山紀之を筆頭に、ジャニーズの若手たち*3と始終つきあっていると、
心だって、体だって若くなるのかもしれない。
と、話がそれた。
もちろん、お年寄りの方々は、人生の先達であることは間違いないから、
そういった方に敬意を表することは(敬老の日に限らず)重要だと思う。
しかし、「自らの生活の向上に努める意欲を促す」というのは、大きな
お世話なのではあるまいか。
そんなことは、渋谷や原宿あたりに生息している、茶髪ガングロの
馬鹿者若者たちにこそふさわしいだろう。*4