餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?

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あれから7年…。横浜港で噛みしめた、走れる喜び

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今日は、休足日になる筈だった。

僕は、プライベートな事情で、昨日の夜から自由に動けない状況になっていたからだ。

ただ、今日の午後になって、状況が少し好転し、急遽時間がとれるようになったため、「ならば走ろう!」と決めた。

ちょうど横浜に滞在していたため、大好きなみなとみらいコースを走りたい、という思いもあった。

僕が、このコースを走るのは…。

新年走り初め以来。

あの時、大桟橋から見た初日の出に元気をもらい、「どうか、いい年になることを祈りたい。」と願ったことを思い出す。

2月になったとたん、手首を骨折したりして、幸先のよくないスタートになってしまっているが、これからは、きっとよくなる一方だと信じたい。

身体の快方にともない、再び、自由に走れるようになってきたことに加え、とりわけ今日は、「走れる喜び」を感じる、特別な1日でもあった。

そう、今日は、「あの日」からちょうど7年目の日、だったからだ。

忘れることなどできない。

2011年3月11日。午後2時46分。あの時に感じた衝撃は、今でも心に鮮明に覚えている。

あの大震災以降、しばらくの間、僕は、仕事でも、日常生活でも、大いに不安を感じながら過ごしていた。

もちろん、ランニングに関する関わりも同様。

当時、僕は、まだ、ランニングを始めたばかり。そして、一番ランニングに「燃えて」いた時期だったので、とりわけショックが大きかった。

初のフルマラソンだった、1月の勝田全国マラソンで、4時間12分。

とてもいい大会だったのだけれど、4時間を過ぎると、交通規制が解除されてしまい、歩道を走らされたのが悔しくて、次のレースでは絶対に4時間を切りたいと思っていた。

だから、3月13日のハーフ(はるな梅マラソン)をステップに、4月のかすみがうらでサブ4を達成すべく、僕は、毎日かなり走り込んでいたことを思い出す。

しかし、震災翌々日のはるな梅マラソンはもちろんのこと、かすみがうらマラソンも早々に中止が決定。

状況を考えれば当然の結果とはいえ、僕は、燃えていた心にぽっかり穴があいてしまった。

そのため、震災後1週間は、全く走る気持ちになれなかったほど。

だから僕は、毎年この時期になると、自由に走れることの喜びを噛みしめるのだ。

今日のランスタートは、山下公園。

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午後ということもあり、人でごった返していたため、無理せず、迷惑にならないよう、気をつけながら走った。

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ベイブリッジをバックに飛行する、ユリカモメ隊。

山下公園で見るカモメたちは、僕の大好きな情景なのだけれど、今日はとりわけ元気に飛び回っていて、見ているだけで心が和んだ。

その後は、いつもの通りのコースで、大桟橋~みなとみらい地区を走った。

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赤レンガ倉庫。

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日本丸とコスモクロック。

このあたりは、撮り慣れた情景なのだけれど、今日は、普段撮らない場所の写真も撮った。

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臨港パーク、立入制限区域。

波打ち際が近いこの地域は、震災で大きなダメージを受け、しばらくの間、かなりの場所が封鎖されていたことを思い出す。

僕の記憶に間違いがなければ、この鉄格子は、当時から残っている、最後の制限区域の筈だ。

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色褪せた看板が、7年という月日を物語っている。

看板こそ色褪せてしまったけれど、まだ、あの日の記憶を色褪せさせてはならない。

日本は、あの震災から復興したとはいえないし、いつ、また、あのような震災が起きてもおかしくない状況だからだ。

僕は、走れる喜びを噛みしめる一方で、気持ちを引き締め、1日1日を大切に生きていかなければいけないなぁ…と、思った。

 

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報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災

報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災

 

 


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