まさか、と思った。
何年かに一度、定期的にやって来る謎の発作。猛烈な目眩と吐き気が、異国に着いたばかりの僕を襲ったのだ。
嘘だろ、ここで、これが来るのはやめてくれ。
しかし、そんな思いとはうらはらに、僕は平衡感覚を失い、その場に座り込んでしまった。
空港に到着した時点までは、全く問題なかった。
こんな写真を喜んでSNSに上げているぐらいだから、能天気に楽しもうとしている。
ところが。
ターミナルから、エアシャトルで移動。その後、市内中心部に向かうCTAトレインに乗ろうとしていたコンコースの中で、僕は、突然発作に襲われた。
空港から市内中心部までの乗車時間は、たった30分程度。しかし、その30分が耐えられなかった。
混雑した電車の中で、振動に揺られていると、目眩がさらに酷くなり、時折、猛烈な吐き気が襲ってきた。
何度電車を降りたろう。そのたび、ベンチで苦しんでいたため、何人もの人に「Are you OK?」と声をかけられた。
僕は、全くOKではなかったのだけれど、こういう状態の時に、英語でどのような答えをしていいかわからなかったので、「OK.Thanks」と答えて凌いだ。
僕は、自分の語学力のなさを恨めしく思いながらも、しかし、そんな思いも、すぐに、気分の悪さで吹き飛ばされた。
とにかく早く横になりたい。楽になりたい。そう思って、電車に何度も乗り直し、ホテル近くの駅にたどり着いた。
しかし…そこから先がまた、長かった。
ホテルには、午後1時ごろに到着。しかし、チェックインは、午後4時からになっていたため、まだ3時間もあるのだ。
とりあえず、重たいスーツケースは預かってもらえたけれど、チェックインの時間まで入室はできない、と言われた。
僕は、いったんホテルの外に出て、街をさまよった。しかし、そこは異国。勝手がまるでわからない。小雨もそぼ降る中、僕は眩暈と吐き気に苦しみ、安住の地を見つけることができなかった。
実際、耐えられず、道路脇で嘔吐までした時は、もうダメだと思った。このまま、外をさまようのは危険だ。
僕はとりあえずホテルに戻り、ロビーで休ませてもらうことにした。ロビーにはトイレもあるし、状況を考えると、それが一番ベストな選択に思えた。
そのあとも、僕は延々と苦しみ続けた。トイレで何度も嘔吐を繰り返しているうち、胃がカラになってしまったような気分になったが、それでも、まだ吐き気は収まらなかった。
ロビーの椅子と、トイレを行き来しながら、ぐったりしている僕を、見るに見かねて、フロント係の人が声をかけてきた。
やはりここでも「Are you OK?」と問われ、流石にOKとは言えずに苦しんでいると、医者を呼ぶか?というようなことを言われた。
いやいやいや。僕はぐるぐる回る頭でも、それだけはまずいと思った。米国で医者などにかかったら、莫大な料金がかかる。カードでの旅行保険は効くかもしれないが、その保証はない。
僕は、過去の経験からして、横になって休めればおそらく回復すると思っていたので、苦しみながら「I'd like to lie down」と訴えた。
フロント係の人は、僕に同情の表情は見せてくれ、いったんは部屋の状況を確認してくれたものの、やはり、まだ入室はできないという回答を受けた。
僕は大いに落ち込んだが、その時点で、チェックインまであと1時間半。なんとかそれだけ堪え切れれば楽になれる。その思いで、僕は、ロビーの椅子に深々と座りこんだ。
午後3時過ぎ。
まだチェックイン時刻までは1時間足らずあったが、突然、事態は変わった。入室が許されることになったのだ!
ホテルの責任者らしき人がやってきて、苦しむ僕に、特別扱いをしてくれることになった。僕は、望外の出来事に、大いに感謝し、何度もお礼を言い、そして、部屋に入ったとたん、ベッドに倒れこんだ。
その後…いったいどれくらい眠ったろう。深夜に目が覚めた時には、空腹を感じるほど、体は回復していた。
せっかく、朝一番の飛行機で到着したのに、丸1日を無駄にしてしまったけれど、最悪の事態にならなくて、本当に良かったと思う。
僕は、カラになっていた胃を刺激しないよう、わずかばかりの栄養を補給。その栄養が回復に繋がることを信じて、もう一度眠った。
翌朝、またしても想定外の事件が起きるなんて、思いもよらずに。
(以下、続く。)