餃子ランナーは電子機器の夢を見るか?

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僕のケータイヒストリー(その3:W-ZERO3から始まった僕のスマホ生活)

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(承前)
今から9年前。
W-ZERO3-1
僕は、この端末をゲットした喜びに震えていた。何しろ、発表当初から大人気で、入手困難な状態だったからだ。
当時、ウィルコムの公式Webサイトであるウィルコムストアでは抽選販売となっていて、僕はあえなく落選だった。都内の大型量販店を巡っても、「現在品切入荷未定」表示ばかり。
もう、年内の入手は無理かもなぁ…と諦めかけていたところ、1軒だけ在庫の残っていた店があり、僕は大逆転でゲットした。
あの時の感動は、今でも忘れない。
そういえば、以前にもこんなことを書いたような記憶があるなぁと思っていたら、やっぱり書いていたw


ちょうど5年前の今日。
荒んだ心境の今と違って、僕はとても元気だった。興奮していた。当時、惚れに惚れぬいたこの端末をゲットできたからだ。
あれから5年…。 - 言い捨ての小部屋:(2010.12.entry)

このエントリーを書いてから、もう4年が経過している。いやはや、月日の経つのは本当に早いものだなぁ…。
4年前、僕はこのようにも書いている。

初代W-ZERO3
日本のスマートフォン史を語る上で、エポックメイキング的な位置づけとなる機種だ。これ以前にも、Vodafone 702NKFOMA M1000など、スマートフォンと呼ばれる端末は存在していた。しかし、一般市場にスマートフォンの存在が大きく知られるきっかけとなったのは、W-ZERO3であることは間違いない。

そう、まさにスマートフォンの先駆けとも言える端末だったのだ、W-ZERO3は。
町じゅうにスマートフォンが溢れる今と違って、当時はまだガラケー全盛の時代。W-ZERO3が超品薄だったと言っても、それは、マニア層の需要が供給を上回ったに過ぎず、世間的な認知度はまだまだ。「スマートフォン、何、それ?」と言われるような状況だった。
W-ZERO3以降、スマートフォンの素晴らしさに目覚めた僕は、ことあるごとに、同僚や友人たちに、スマートフォンの素晴らしさを力説していたのだけれど、殆ど賛同は得られなかった。…それどころか、否定の嵐。
キャリアメールが使えない、iモードなどのケータイサービスが使えない、電話としてあり得ない大きさ…。などなど言われて、随分めげたことを思い出す。
確かにそれは(当時の状況では)事実だったので、僕は沈黙せざるを得なかった。
スマートフォンには、それを補うだけの魅力があるんだけれどなぁ…と思いつつ、多勢に無勢。僕は、周囲に奇異の目で見られながらも、でも、楽しくW-ZERO3を使っていた。
あれから9年…。
潮目は大きく変わった。今や、誰も彼もがスマホの時代。右を向いても左を向いても町に溢れるiPhone、そしてAndroid端末たち。あれほど隆盛を誇ったガラケーの方が少なくなってきている。そんな状況。
W-ZERO3-2
W-ZERO3iPhone 5Sの比較。
iPhoneは「ひと世代前」の機種なのに、それでも、初代W-ZERO3と比べると、大きく洗練されている。
iPhoneには物理キーボードがない分、薄いのは当たり前だが、それを差し引いても、かなりスマート。だからこそ、ここまでスマートフォンが普及したのだろうなぁと思う。
ただ、ごつくても、野暮ったくても、僕は初代W-ZERO3が好きだった。物理キーはとても入力しやすかったし、何より、使っていて、毎日ワクワクするような発見、喜びがあった。
iPhoneはとっても便利で操作も簡単だけれど、初代W-ZERO3を使っていた時に感じたようなワクワク感は薄い。
あぁ、あの時代、本当に懐かしいなぁ…。
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