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ポスターと本編のギャップを感じた「脳内ニューヨーク」

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超難解。

見たのは先週なのだけれど、未だに頭の中が整理できないでいる。うまく咀嚼できてからエントリーしようと思ったけれど、どうにもうまくまとまらないので、現時点での思いをとりあえず書いてみることにした。
何より思ったのは、邦題やポスターの画像から受けるイメージと映画本編のギャップだ。一見、何となく陽気で楽しそうな映画という印象を受けまいか。しかし、実際はまるで違う。
この作品の評判を各所で読むと、皆こぞって、あの『マルコヴィッチの穴』や『エターナル・サンシャイン』の名前を挙げている。これらの作品で脚本を書いたチャーリー・カウフマンの初監督作品だということが、大きなポイントであるようだ。
しかし僕は、この2作をまだ見たことがなかった。思えば、この時点で僕は「脳内ニューヨーク」を見る資格がなかったのかもしれない。製作のスパイク・ジョーンズも、カウフマンとお馴染みの名タッグで、俳優陣のフィリップ・シーモア・ホフマン、サマンサ・モートン、ミシェル・ウィリアムズ、キャスリーン・キーナー、エミリー・ワトソンといったところも、アカデミー賞常連の実力派揃い。まさに、カウフマン通、映画通のための映画といったところなのだろう。
そういった「基礎知識」を踏まえて臨めば、おそらく存分に楽しめたのかもしれない。しかし僕は、チラシのイメージから、《ニューヨークを舞台にしたコメディタッチの映画》なのかと勝手に誤認して臨んだので、思い切り打ちのめされてしまった。
この作品を、無謀にも一言で表現するなら*1「現実とフィクションが交錯する話」だ。主人公を巡る人間関係が複雑で、しかも現実とフィクションのNYを舞台に、同じ登場人物を違う人間が演じたりするものだから、いったん筋を見失うと、もはや何が何だかわからない。特に、現実とフィクションが完全に入り乱れる後半のアクロバットぶりには目眩がしたほど。
虚構と現実を描くメタフィクションの世界は、僕が敬愛する筒井康隆氏の得意とするジャンルで、個人的には嫌いではないのだけれど、事前の予想とギャップが大きすぎたものだから、ついていけない間に2時間が終了したという印象だ。


映画『脳内ニューヨーク』オフィシャルサイト

オフィシャルサイトでは、バックの雲も流れたりして、実に明るい。これだけ見ると、陽気で楽しい映画のように思えるではないか。ところが、本編は重たく、暗いのだ。このギャップは、意図した物なのかも知れないけれど、成功しているかどうかは疑問だ。

米国版のポスター。地味ではあるけれど、このポスターの方が断然映画のイメージを表している。それがどうして、日本ではあのようなポスターになってしまうのか。僕は理解に苦しむ。

公式パンフレットは、米国版をベースにしたのか、渋いものになっていた。これならば納得。

パンフレットに掲載されていた相関図。これを見てやっと、「そういうことだったのか」と思い至ったシーンもあった。初めからこの相関状況を理解できていれば、印象は少し変わったかもしれない。
上映館がかなり限られている*2ので、もう1度ロードショーで見るのは厳しいけれど、DVD化されたなら、もう一度見て確かめてみようと思う。

*1:実際はそんな単純な映画ではない。

*2:本日現在、東京では渋谷の「シネマライズ」だけ。全国合計でも7館しか上映されていない。


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