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パラシュートでの降下。
その映像を見るたび、僕は恐怖を感じる。
そのあと、安全な着地が行われると分かっていてさえ、恐い。
飛行機などの空から落ちたら、人はまず間違いなく死ぬ。
だから、万が一、落ちていく課程でパラーシュートが開かなかったら、
死んでしまうのだ。
この、初めから開いておくことが出来ないというところが曲者で、
だから落ちていく瞬間は、死と隣り合わせではないかと
思うほどの恐怖を感じるはずだ。
しかし、パラシュートが開いた瞬間に、重力は突然歯止めをかけられ、
かわりに、人は空中に浮く。
いわば「再生」の瞬間で、この「死」と「再生」を同時に味わえる
パラシュートの魅力なのだろう。
しかし、僕は一生このパラシュートを行うことはないだろう。
もとより高所恐怖症であるし、いくら再生できると分かっていても、
それまでの恐怖に耐えられる筈がないからだ。
最後に、パラシュートを扱ったブラックジョークを。
353 :名無し職人:2005/07/12(火) 02:48:18
スカイダイビング用のパラシュート店にて
「このパラシュート安全なんだろうね。実は開かないなんて事ない?」
「ええ、パラシュートが開かなかったなどという苦情は一切きておりません」
誰でもおわかりだろうが、蛇足解説を。
パラシュートが開かなければ、苦情など言える筈はないのだ。
それはもちろん、死んでしまっているからである。