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阪神大震災から10年

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もうあれから10年も経ってしまったのか…

6433人が死亡した阪神大震災から17日で10年となり、大きな節目を迎えた。がれきの山と化した神戸市には再開発ビルが立ち、人口も回復。かつての傷あとはうかがえない。しかし被災者向けの復興住宅ではお年寄りの「孤独死」が相次ぎ、地域経済の低迷も続く。支援政策も区切りの時期となり、多くの課題を抱えたままだ。 神戸市の人口は昨年11月の推計値で152万581人となり、震災の前を上回った。ただ25%は震災後に生まれたり、転入してきたりした人たちで、被災体験の風化も指摘されている。 また大規模な火災で壊滅的被害を受けた長田区は震災前の80%しか人口が回復しておらず、地域で格差が生じている。

前から何度も書いているが、僕は本当に地震が恐い。もちろん、好きな人などいるわけはないと思うが、夜中に震度1の地震が起きても飛び起きてしまうほど、地震に対しては敏感である。
だから、阪神大震災の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。冬の朝。忘れもしない、平成7年1月17日午前5時46分。朝食を取りながらテレビを見ていた僕の目に、そのニュースはいきなり飛び込んできた。
最初はそれほど大きな被害がないように報道されていたのだが、それは、単に情報が伝わっていないだけのことだった。次々と明らかになる街の惨状。刻々と増え続ける死者。建物倒壊、火災、とぎれたライフライン、食糧難…
結果的に、何と6,433人もの死者を出したこの未曾有の大惨事は、今でもその傷跡が完全に癒されていない。僕は、実際にその時そこにいたわけではないし、結局何の力になることもできなかった。だから、僕のような人間に何も語る資格はないのだけれど、でも、言わずにはいられない。僕の記憶の中では、阪神大震災は、今でも昨日のような出来事であり、片時たりとも忘れたことがないほど、心に残っているからだ。
新潟中越地震やスマトラ沖大地震など、記憶に新しい大地震が、また、立て続けに起こっている。いざ大地震が起きてしまうと、人はあまりに無力だ。
地震で亡くなってしまったしまった方々の、冥福を心から祈りたい。


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